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「「女どもこそ今少しこまやかなる事どもは語られめ」」といへば、「「我は都人にも侍らず。たかき宮づかへなどもし侍らず。若くよりこの翁にそひ候ひにしかば、はかばかしき事をも見給はぬものをば」」といらふれば、「「いづれの國人ぞ」」と問ふ。「「陸奧の國あさかの沼にぞはべりし」」といふ。「「いかで京にはこしぞ」」。「「その人とはえ知り奉らず。歌よみ給ひし北の方おはせし守の御任にぞのぼり侍りし」」といふに、中務の君にこそと聞くもをかしくなりぬ。「「いといたきことかな。北の方をたれとかきこえし。よみ侍りけむ歌はおぼゆや」」といへば、「「その方に心もえでおぼえ侍らず。たゞのぼり給ひしに、逢坂の關におはしてよみ給へりし歌ぞところどころおぼえ侍る。

  「みやこにはまつらむものをあふ坂の關まできぬとつげややらまし」」」

など、いとたどたどしげに語るさま、まことに男にたとしへなし。繁樹、「「この人をばひとゝおぼすかとよ。さやうの方は覺ゆらむものぞ。世間たましひはしもいとかしこく侍るをとりどころにてえさり難くおぼえ侍るなり」」といふに、世繼、「「いでこのおきなの女一人こそいとかしこく物はおぼえ侍れ。今ひとめぐりがこのかみにて候へば、見給へぬほどの事などもあれは知りて侍るめり。染殿の后の宮のひすましに侍りけり。母もかんの刀自にて仕うまつりければ、をさなくより參りかよひて、忠仁公をも見奉りけり。わらはべかたちの程のいと物きたなうも候はざりけるにや。やんごとなき公達も御覽じいれて、兼輔中納言令峰衆樹の宰相の御文などもちてはべるめり。中納言はみちのくに紙に書かれ、宰相のはくるみ色の薄葉