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うはこそはとてもてまゐりて候ひしを「何ぞ」とて御覽じければ、女の手にて書きて侍りける、

  「勅なればいともかしこし鶯のやどはととはゞいかゞこたへむ」

とありけるに、あやしく思し召されて「何ものゝ家ぞ」と尋ねさせ給ひければ、貫之のぬしのみむすめの住む所なりけり。「遺恨のわざをもしたりけるかな」とて、あまえおはしましける。繁樹、この生のそくかうはこれや侍りけむ。さるは思ふやうなる木もてまゐりたりとて、きぬかづけられたりしもからくなりにき」」とてこまやかにわらふ。繁樹「「又いとせちにやさしく思ひ給へしことは、このおなじ御時の事なり。承香殿の女御と申すは齋宮の女御よ。御門久しく渡らせ給はざりける秋のゆふぐれに、琴をいとめでたく彈き給ひければ、急ぎわたらせ給ひて御傍におはしましけれど、人やあるともおぼしたらで、せめて彈き給ふをきこしめせば、

  「さらぬだにあやしき程の夕暮に荻吹くかぜのおとぞきこゆる」

とひきたりし程こそせちなりしかと御集に侍るこそいみじう候へといふはあまりかたじけなしやな」」。ある人「「城外やし給へる」」といへば「「遠國にはまからず。和泉の國にこそ貫之のぬしのみにんに下りて侍りしか。「ありどほしとは思ふべしやは」とよまれて侍りしたびのともにもさぶらひき。雨の降りしさまなど語りしこそ、ふる草子にあるを見れば程經たる心ちし侍るに、昔にあひたる心ちしてをかしかりしか」」。この侍もいみじう興じて繁樹がめに、