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とよむぞかし。御かへし、御門のしおはしましけむかたじけなさよ。

  「祝ひつることたまならばもゝとせののちもつきせぬ月をこそみめ」。

御集など見給ふるにぞ、いとなまめかしうかやうの方さへおはしましける。〈延長八年九月廿五日おりさせ給ふ。おなじ八日うせさせ給ふ。陵山科にあり。後の山科といふ。この時ぞかし。〉

     六十一代〈將門純友が事この時なり。〉

次の御門朱雀院天皇と申しき。御諱ひろあきら。これ醍醐の御門の御〈第歟〉十一の王子なり。御母皇太后宮穩子と申しき。太政大臣基經のおとゞの四つの娘なり。このみかど延長元年癸未四月廿七日生れさせ給ふ。同三年乙酉十月廿一日東宮に立ち給ふ。御年三歲。同八年庚寅九月廿二日位に即かせ給ふ。御年八歲。承平七年正月四日御元服。御年十五。世を保たせ給ふ事十六年。〈或本に廿四にて御すけ、天曆六年八月十五日うせ給ふとあり。御とし三十七、陵鳥邊野にあり。〉八幡の臨時の祭はこの御時よりあるぞかし。この御門生れさせ給ひては御格子もまゐらず夜晝火をともして御帳の內にて三つまでおほし奉らせ給ひき。北野におぢ申させ給ひてかくありしぞかし。この御門生れおはしまさずば藤氏のさかえいとかうしもおはしまさゞらまし。いみじきをりふし生れさせ給へりしぞかし。位に即かせ給ひて、將門がみだれ出できて、御願にてぞと聞え侍りし、この臨時の祭は。そのあづま遊の歌、貫之のぬしのよみたりし、

  「松もおひまたもかげさ〈こけむイ〉すいはしみづゆくすゑとほくつかへまつらむ」。

     六十二代〈天曆聖主此也。殿上有和歌會。〉