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言の御親にておはします。さりや聞し召しあつめよ。日本國には唯一無二おはします。まづは造らしめ給へる御堂などのありさま、鎌足のおとゞの多武峰、不比等大臣の山階寺、基經のおとゞ極樂寺、忠平のおとゞの法性寺、九條殿の楞嚴院、あめのみかどの造り給へる東大寺も、佛ばかりこそはおほきにおはしますめれど、猶この無量壽院にはならび給はず。まして餘の寺々はいふべきにあらず。大安寺は都率天の一院を天竺の祗園精舍にうつしつくれり。天竺の祗園精舍もろこしの西明寺に寫して造り、もろこし西明寺の一院をこの國の御門は大安寺にうつさしめ給へるなり。しかあれども唯今はこの無量壽院まさり給へり。南京のそこばく多かる寺ども猶あたり給ふなし。恆德公の法住寺いと猛なれど、猶この無量壽院すぐれ給へり。難波の天王寺など聖德太子御心に入れて造り給へれど、なほこの無量壽院まさり給へり。ならは七大寺十五大寺などを見くらぶるに、なほこの無量壽院いとめでたく、極樂淨土この世に顯れにけると見えたり。故にこの無量壽院を思ふに、おぼし願ずることも侍りけむ。淨妙寺は東三條殿、大臣になり給ひての御慶に木幡にまゐらせ給へり。御供に入道殿具し奉らせ給ひて御覽ずるに、多くの先祖の御骨おはするに、鐘の聲聞き給はぬいとうきことなり。我が身おもふさまになりたらば三昧堂建てむと御心のうちに思しめしくはだてたりけるとこそはうけたまはれ。昔もかゝる事多く侍りけるなかに、極樂寺法性寺ぞいみじく侍るや。御年などもおとなびさせ給へるだにも、思しめしよるらむ程なべてならず覺え侍るに、いづれの御時とはたしかにえ聞き侍らず。唯深草の御程にやなとぞ思ひやられ侍り〈如元〉