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合とぞ申しける。四郞はふじ丸と申しき。この男君だちみな宰相ばかりまでぞなり給へる。かくて鎌足のおとゞは天智天皇の御時、藤原の姓たまはりて、その年ぞうせさせ給へりける。內大臣の位にて廿三年そおはしましける。太政大臣極め給はねど、藤原の御いではじめのやんごとなきによりて、うせ給へる後のいみな淡海公と申しけり」」。この繁樹がいふやう、「「大織冠をばいかで淡海公とは申させ給ふぞ。大織冠は大臣の位にて廿五年、御年五十六にてなむかくれおはしましける。ぬしののたまふことゞも天の川をかきながすやうに侍れど、をりをりかゝるひが事ぞまじりたる。されど誰か又かくは語らむな。佛在世の淨名居士とおぼえ侍るものかな」」といへば、世繼がいはく、「「むかしからくにに孔子と申すものしりのたまひけるやう侍り。「智者も千のおもひばかりも必一つのあやまちあり」となむあれば、世繼年百歲におほくあまり、二百をかぞへぬほどにて、かくまでとはずがたりを申せば、むかしの人々もおとらざりけるにやあらむとなむおぼゆる」」といへば、繁樹、「しかじかまことに申すべき方なくこそ侍れ」」とて、かつは淚おしのごひなど感ずるさまことなるまことにいひてもあまりにぞ覺ゆるや。「「御子右大臣不比等のおとゞは實は天智天皇の御子なり。されど鎌足のおとゞの二郞になり給へり。この不比とうのおとゞ、御名のもじより始めてなべてならずおはしましけり。ならびひとしからずとつけられ給へる名にぞこのもじは侍りける。この不比等の大臣の御男君たち二人ぞおはしける。太郞は武智麿ときこえて左大臣までなりたまへり。二郞房前と申して宰相までなりたまへり。この不比等の大臣の御女二人おはしける。一