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る事だにいといとほしう侍りしに、父おとゞのあながちにし侍りしことなれば、いなびさせ給はずなりにしにこそ侍れ。粟田のおとゞにはせさせ給ひて、これにしも侍らざらむはいとほしさより御ためなむいとたよりなく世の人もいひなし侍らむ」など、いみじう奏せさせ給ひければむつかしうや思しめされけむ、後には渡らせたまはざりけり。さればうへの御局にのぼらせたまひて、こなたへとは申させ給はで、我が夜のおとゞに入らせ給ひてなくなく申させ給ふ。その日は入道殿はうへの御局に侍はせ給ふ。いと久しういでさせ給はねば、御胸つぶれさせ給ひけるほどに、とばかりありて戶おしあけてさし出でさせ給へりける、御顏は赤みぬれつやめかせ給ひながら、御口は心よくゑませ給ひて、「あはや宣旨下りぬ」とこそ申させ給ひけれ。いさゝかの事だに皆この世ならず侍るなれば、いはむやかばかりの御ありさまは人のともかくも思しおかむによらせ給ふべきにもあらねど、いかでかは院をおろかに思ひ申させ給はまし。その中にも道理すぎてこそは報じ奉り仕うまつらせ給ひしか。御骨をさへこそはかけさせ給ひてしか。中關白殿、栗田殿うち續きうせさせ給ひて、入道殿に世うつりしほどは、さもむねつぶれてきよきよと覺え侍りしわざかな。いとあがりての世はしり侍らず。翁ものおぼえてのちはかゝる事候はぬものをや。今の世になりては一の人の貞信公小野宮殿をはじめ奉りては、十年と坐する近く侍らねば、この入道殿もいかゞと思ひ申し侍りしにいとゞかゝる運におされて、御兄だちはとりもあへず亡び給ひしにこそおはすめれ。それも又さるべくあるやうある事を、皆世はかゝるなめりと申す人々覺しめすとて、有樣少