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ら立ちのかせ給ひにけり。父おとゞにぞ申させ給ひければ、「大臣かろむる人のよきやうなし」とぞのたまはせける。三月上の巳日の御はらへに、やがて逍遙し給ふとて、帥殿、河原にさるべき人々あまた具していで給へり。ひらばりどもあまたうち渡したるおはし所に、入道殿もいでさせ給ひたる。御車を近くやれば、「便なきこと、かくなせそ。やりのけよ」とおほせられけるを、なにがし丸といひし御車副の、「何事のたまふ殿にかあらむ。かくきこえたまへれば、この殿は不運にはおはするぞかし。わざはひやわざはひや」とて、いたく御車牛をうちて、今少し平張のもと近くこそ仕うまつりよせたりけれ。「からうもこの男にいはれぬるかな」とぞ仰せられける。さてその御車副をば、いみじくらうたくせさせ給ひ御かへりみありしかば、かやうの事にてこの殿達の御中いとあしかりき。女院は入道殿をとりわき奉らせ給ひていみじう思ひ申させ給へりしかば、帥殿はうとうとしくもてなさせ給へりけり。御門、皇后宮をねんごろに時めかさせ給ふゆゑに、帥殿はあけくれ御前に侍はせ給ひて、入道殿をば更にも申さず、女院をもよからずことにふれて申させ給ふを、おのづから心やみさせ給ひけむ、いともほいなきことに思しめしける、ことわりなり。故入道殿の世をしらせ給はむことを御門いみじうしぶらせ給ひけり。皇后宮父おとゞおはしまさで、世の中をひきかはらせ給はむことをいと心苦しうおぼしめして、粟田殿をもとみにやは宣旨下させ給ひし。されど女院の道理のまゝの事をもおぼしめし、又帥殿をばよからず思ひ聞えさせ給ひければ、入道殿の御事をいみじうしぶらせ給ひけれど、「いかでかくは思しめしおほせらるゝぞ。大臣越えられた