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とせの北の政所の御賀によませ給へりしは、

  「あかざり〈りなれイ〉しちぎりは絕えて今更にこゝろけがしに千代といふらむ」。

又この一品の宮の生れおはしましたりし御うぶやしなひの日、大宮せさせ給へりし夜の御歌は聞かせ給へりや。それこそいと與あることと人思ひよるべきにも侍らぬ和歌のていなれ。

  「おと宮のうぶやしなひをあねみやのやしなふ見るぞうれしかりける」

とかやぞうけたまはりし」とて心よくゑみたり。「四條大納言のかく何事もすぐれめでたくおはしますを、大入道殿、「いかでかゝらむ。うらやましくあるかな。我が子どもの影だにふむべくもあらぬこそ口惜しけれ」と申させ給ひければ、中關白殿、粟田殿などはげにさもやおぼすらむと耻かしげなる御氣色にて物ものたまはぬに、この入道殿はいと若うおはします御身にて、「かげをばふまで、つらをやはふまぬ」とこそ仰せられけれ。誠にこそさおもはすめれ。內大臣殿をだに近くて見奉り給はぬよ。さるべき人はとうより御心たましひのたけう御まもりもこはきなめりと覺え侍れば、花山院の御時に、五月しもつやみに、五月雨も過ぎて、いとおどろおどろしくかきみだれ雨の降る夜、御門さうざうしくや思しめしけむ、殿上に出でさせおはしまして遊びおはしましけるに、人々物がたりしたまひて、昔恐ろしかりける事どもなど申させ給へるに、「今宵こそいとむつかしげなる夜なめれ。かく人がちなるにだにけしきおぼゆ。まして物離れたる所などいかならむ。さあらむ所に一人いなむや」とおほせらけに、「えまからじ」とのみ申し給ひけるを、入道殿は「いづくなりともまかりなむ」