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ひしをり、されど御耳とゞまりて聞かせ給ふらむとおぼえしかど、その大饗のをりの事ども、大納言の座しきそへられしほどなど、語り申せ〈如元〉しかどいさゝか御氣色かはらず念ずうちして「かやうのことたゞしばしの事なりとぞうちのたまはせしなむ、めでたく優に覺えし」とぞみちなりの君のたまひける。この殿の君たち、男女合せて十二人、數のまゝにおはします。男も女も御官位こそ心にまかせ給ひつらめ、御心ばへ人がらどもさへいさゝか片ほにて、もどかれさせ給ふべきにもおはしまさず、とりどりにいうそくにめでたくおはしまさふも、たゞことごとならず、入道殿の御さいはひのいふかぎりなくおはしますなめり。さきざきの殿ばらの君だちおはせしかども、皆かうしも思ふさまにや坐せし。おのづから男も女もよきあしきまじりてこそおはしまさふめりしか。この北政所、二方ながら源氏におはしませば、末の世の源の榮え給ふべきと定めますめり。かゝればこの二ところ御ありさまかくの如し。但し殿の御前は三十より關白せさせ給ひて、一條院、三條院の御時世をまつりごち、我が御心のまゝにて坐しましゝに、又當代九つにて位に即かせ給ひにしかば、御年五十一にて攝政せさせ給ふとし、我が御身は太政大臣にならせ給ひ、攝政をば今の關白おとゞにゆづり奉らせ給ひて、御年五十四にならせ給ふ。寛仁三年つちのとのひつじ三月十八日夜中ばかりより胸やませ給ひて、わざとにはおはしまさねど、いかゞ思しめしけむ、俄に廿一日のひつじの時ばかりに起きゐさせ給ひて御かうぶりめし、かいねりの御したがさねに、ほうこをさしそがせ給ひて御てうづめせば、なに事にかと關白殿をはじめて殿ばらも思しめすに、寢殿の