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へ上らせ給ひけるに、「賀茂川わたりしほどのいみじうつめたく覺えしなむ少しあはれなりし。今はかやうにてあるべき身ぞかしとおもひながら」とこそ仰せられけれ。いまの衞門督ぞ疾くより「この君は出家の相こそおはすれ」とのたまひて、中宮大夫殿のうへに御せうそこ聞えさせ給ひけれど、さる相ある人をばいかでかとて、後にこの大夫殿をばとりたてまつり給へるなり。正月にうちよりいで給ひて、この衞門督、「馬頭の物よりさしいでたりつるこそむげに出家の相近くなりて見えつれ。いくつぞよ」とのたまひければ、頭中將「十九にこそなり給ふらめ」と申し給ひければ、「さてはことしぞし給はむ」とありけるに、かくと聞きてこそ、「さればよ」とのたまひけれ。相人ならねど、よき人はものを見給ふなり。入道殿は「やくなし。いたうなげきて聞かれし心みだれせむもかの人のためいとほし。法師子のなかりつるいかゞはせむ。をさなくてもなさむと思ひしかど、すさみしかばこそあれ」とて唯例の作法の法師の御やうにもてなし聞え給ひき。受戒にはやがて殿のぼらせ給ふ。人々の我も我もと御供にまゐり給ひて、いとよそほしげなりき。威儀僧はえもいはぬものども立たせ給へり。御さきにうしき僧綱どもやんごとなきさぶらふ。山の所司殿の御隨身どもの人笑ひのゝしりて、戒擅にのばらせ給ひけるほどこそ入道殿はえ見奉らせ給はざりけれ。御みづからは本意なく傍いたしとおぼしたりけり。座主のたごしに乘りて、がいさゝせてのぼり給ひける程こそ、あはれ天臺座主の戒和尙の一やと見え給ひけれ。世繼が隣に侍るものゝその際にあひて見奉りけるが語り侍りしなり。春宮の大夫殿、中宮の權大夫殿などの大納言にならせ給