Page:Kokubun taikan 07.pdf/144

提供:Wikisource
このページは校正済みです

はあさの御衣奉るをばあるまじき事に申させ給ふなるをぞいみじくわびさせ給ひける。出でさせ給ひける日は、緋の御あこめのあまた候ひけるを、これかれあまた重ねて着たるなむうるさき。「綿をひとつに入れなして、一つばかり着たらばや。しかせよ」と仰せられければ、「これかれそゝぎ侍らむもうるさきに、綿を厚くして參らせむ」と申しければ、「それは久しくもなりなむ。唯疾くと思ふぞ」と仰せられければ、思しめすやうこそはと思ひて、あまたが綿をひとつに入れて參らせたるを奉りてぞその夜はいでさせ給ひける。されば御めのとは「かくて仰せられけるものをなにしにまゐらせけむ、例ならずあやしと思はざりけむ心のいたりのなさよ」と泣きまどひ給ひけむこそいとことわりにあはれなれ。今年もそれにさはらせ給はむやうにかくと聞きつけ給ひては、やがて絕え入りて、なき人のやうにておはしけるを、かく聞かせ給はゞいとほしとおぼえて御心や亂れたまはむと今さらによしなし。「これぞめでたき事。佛にならせ給ひて我が御ためにも後の世のよくおはせむこそつひのこと」と人々いひければ、「佛にならせ給はむもうれしからず、我が身後に助けられ奉らむも覺えず、唯今のかなしさよりほかの事なし。殿もうへもあまたおはしませばいとよし。唯我ひとりが事ぞや」とぞふし轉び給ひけむ、げにさる事なりや。道心なからむ人は後の世の事までもしるべきかはな。高松殿の御夢に、左の方の御ぐしうしろを、なからよりそり落させ給ふと御覽じけるを、かくて後にぞこれが見ゆるなりけりと思ひさだめて、「ちがへさせいのりなどをもすべかりけるを」と仰せられける。かは堂にて御ぐしおろさせ給ひて、やがてその夜山