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まのまとを弓の形にしたて、ふちをば矢の形にせられたりしさまの興ありしなり。和泉式部の君歌よまれて侍りき。

  「とをつらのうまならねども君のれば車もまとに見ゆるものかな」。

さてよき風流と見えしかど、人のくちやすからぬものにて、「賀茂明神の御矢めおひ給へり」といひなしてしかば、いと便なくやみにき。この君は頭とられ給ひにし、いといみじう侍りしことぞかし。頭になりて驚き喜び給ふべきならねど、あるべき事にてあると、粟田殿花山院すかしおろし奉り、左衞門督小一條院すかしおろし奉り給へり。御門東宮のあたり近づかでありぬべき御ぞうといふ事出できにしぞかし。いとけうあるに侍りきな。誰も聞し召ししりたる事なれど、男君たちかくなり。女君は故一條院の御乳母の藤三位の腹にいでおはしましたりしを、やがてその御時のくらべやの女君と聞えし、後にこの大藏卿通任の君の北の方にてうせ給ひにしぞかし。御むかへ腹に佛神に申して孕まれ給へる君、今の中宮に二條殿の御方とてこそは候ひ給ふめれ。父殿女子をほしがりて願をたて給ひしかど、御顏だにえ見奉り給はずなりにき。かやうに哀なる事どもの世に侍るぞかし。その殿の御北の方、粟田殿の御後は堀川殿の御子の左大臣の北の方にてこそは年ごろおはすと聞き奉りしか。その北の方九條殿の御子の大藏卿の君の女ぞかし。さればこの粟田殿の御ありさま、ことの外にあへなくおはしましき。さるは御心いとさがなくおそろしくて人々いみじうおぢられ給へりし殿の、あやしく末なくてやみ給ひにき。この殿父おとゞの御忌には御殿などにも居させ給