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させ給ひぬべかりしかど、御まじらひ絕えにたればたゞにはおはするにこそあめれ。この中にむねと射返したるものどもしるして、おほやけに奏せられたりしかば、みな賞せさせ給ひき。たねきは壹岐守になされ、その子は太宰監にこそはなさせ給へりしか。このたねきがぞうは純友うちたりしものゝすぢなり。この純友は將門おなじ心にかたらひて、おそろしき事企てたるものなり。將門はみかどをうちとり奉らむといひ、純友は關白にならむと同じく心をあはせて、この世界に我と政をし、君となりてすぎむといふ事を契り合せて、一人は東國にいくさをとゝのへ、一人は西國の海にいづくともなく大筏を數しらず集めて、筏の上に土をふせて植木をたふし、四方山の田をつくりすみつきて大方おぼろげのいくさにどうずべくもなくなりゆくを、かしこくかまへてうちてたてまつりたるはいみじき事なり。それはげに人のかしこきのみにはあらじ、王威のおはしまさむかぎりはいかでかさることはあるべき。さて壹岐對馬の人をいと多く刀伊國にとりもていきたりければ、新羅のみかど軍を起し給ひて、皆うちかへし給ひてけり。さて使をつけて、たしかにこの島に送り給へりければ、かの國の使には大貳金三百兩とらせてかへさせ給ひける。この程の事もかくいみじうしたゝめ給へるに、入道殿猶この帥殿を捨てぬものに思ひ聞えさせ給へるなり。さればにや世にもいとふり捨て難き覺えにてこそおはすれ。みかどにはいつかは馬車の三四絕ゆる時のある、又道もさりあへず立つ折もあるぞかし。この殿の御子男君、唯今藏人少將良賴の君、又右中辨經輔の君、又式部丞などにておはすめり。誠に世にあひて華やぎ給へりし折、この帥殿は