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たむもはしたにすぢなかりける。宮のちには「見かへりたりしまゝにうごきもせられず、物こそ覺えざりし」とこそ仰せられけれ。又學生ども召しあつめて作文しあそばせ給ひけるに、こがねを二三十兩ばかり屛風のかみより投げ出して人々うち給ひければ、ふさはしからずにくしとは思はれけれど、その座にて饗應し申してとりあらそひけり。「金賜はりたるはよけれども、さも見苦しかりしものかな」とこそ今に申さるなれ。人々文作りて講じなどするにも、よしあしいと高やかに定め給ふ折もありけり。二位の新發の御流にて、この御ぞうは女もみなざえのおはしましたるなり。母うへは高內侍ぞかし。されど殿上せられざりしかば、行幸節會などには南殿にぞまゐられし。それはまことしきもんざにて、御前の作文には文奉られしはとよ、少々のをのこにはまさりてこそ聞え侍りしか。さやうのをり召しけるにも、大盤所の方よりは參り給はで、弘徽殿の上の御局の方より通りて、二間になむ侍ひ給ひけるとこそ承りしか。古體に侍るにや。女のあまりざえかしこきはものあしと人の申すなるに、この內侍後にはいといみじう墮落せられにしも、そのけとこそ覺え侍りしか。さてその宮の上のさしつぎの四の御方は、みくしげどのと申しゝ、御かたちいと美くしうて、式部卿の宮の母しろにておはしましゝも早ううせ給ひにき。一つ腹の女君達かくなり。對の御方と聞えさせし人の御腹にも女君おはしけるは今の皇太后宮にこそはさぶらひ給ふなれ。またも聞え給ひし男君達は太郞君、故伊豫守守仁のぬしの女のはらにてかし。大千與君それは祖父おとゞの御子にし奉り給ひて道賴六郞君とこそは申しゝか。大納言までなり給へりき。