Page:Kokubun taikan 07.pdf/122

提供:Wikisource
このページは校正済みです

關白殿は腹々に男子女子あまたおはしましき。今北の方は大和守高階成忠のぬしの御女なり。後の世は高二位とこそいひ侍りしか。さて積善寺の供養の日、この入道殿のかみに侍りしはいとめづらかなりしわざかな。その腹に男君三所、女君四所おはしましき。大姬君は一條院の十一にて御元服せさせ給ひしに、十五にてや參らせ給ひけむ。やがてその年の六月一日に后にたゝせ給ふ。中宮と申しき。さて關白殿などうせさせ給ひて後に、男みこ一人、女みこ二人うみ奉らせ給へりき。女宮は入道殿の一品宮とて三條におはします。女二宮は九歲にてうせさせ給ひにき。男親王式部卿の宮敦康親王とこそ申しゝか。たびたび御思ひたがひて、世の中をおぼし歎きてうせ給ひにき。御年廿九にてあさましうてやませ給ひにしかな。冷泉院の宮達などのやうに輕々におはしまさましかば、いとほしさもよろしうや世の人おもひ申さまし。御ざえいとかしこく、御心ばへもいとめでたくぞおはしましゝ。さてこの宮の御母后の弟中の御方は三條院の東宮と申しゝをりの淑景舍とて、華やかせ給ひしも、父殿うせさせ給ひし後御年廿二三ばかりにてうせさせ給ひにき。三の御方は冷泉院の四のみこ帥の宮と申しゝをこそは父殿聟どり奉らせ給へりしも、後々はやがて御中絕えにしかば、末の世は一條わたりいと怪しくておはするとぞ聞え給へりし。まことにや御心ばへなどのいとおちゐずおはしましければ、かたへは宮も疎み聞え給へりけるとかや。僧まらうどなどの參りたる折は、御簾をいと高やかにおしやりて御懷をひろげて立ち給へりければ、宮は御面うち赤めてなむおはしましける。さむらふ人も面の色たがふ心ちして、うつぶしてなむ、立