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  「げにやげに冬の夜ながらまきの戶もおそく明くるはくるしかりけり」。

さればその御腹の君ぞかし。この道綱卿後には東宮の傅になり給ひて、ふの殿とぞ申すめりし。いとあつしくて大將をも辭し給ひてき。その殿今の入道殿の北政所の御はらからをすみ奉り給ひてうまれ給へりし君、宰相中將兼經の君よ。道命阿闍梨、極めたる和歌の上手におはしける。父大納言殿は寬仁四年十月十三日に出家、同十六日にうせ給ひにき。御年六十六とぞ聞き奉りし。大入道殿の御三郞は栗田殿、又四郞は堀川の治部少輔の君とて、世のしれものにて交らひもせで止み給ひぬとぞ聞き侍りし。五郞君は唯今の入道殿におはします。女院の御母北の方の御腹の君達三所の御ありさま申し侍らむ。昭宣公の御君達三平とは聞えさすめりしに、この三所をば三道とや世の人申しけむ。えこそうけたまはらずなりしか」」とてほゝゑむ。


大鏡卷之六

   中關白內大臣道隆

   粟田關白右大臣道兼

     東二條殿息