Page:Kokubun taikan 07.pdf/101

提供:Wikisource
このページは校正済みです

にめすばうすの御さかなには唯今殺したる雉子をぞまゐらせおけるにもてまゐりあふべきならねば宵よりぞ設けておかれける。業遠のぬしのまだ六位にて始めてまゐらるゝ夜、御沓櫃のもとにゐられたりければ櫃の內に物のほとほとゝしけるが怪しさに、暗きまぎれなればやをら細目にあけて見給ひければ、雉子のをとりはかゞまりをるものか。人のいふことはまことなりけりとあさましくて、人のねにけるをりにやをらとりいでつ。ふところにさし入れて冷泉院の山にはなちたりしかば、ほろほろと飛びてこそいにしか。「事しえたりし心ちはいみじかりしものかな。それにぞ〈如元〉我はかう人なりけりとはおぼえしか」となむ語られける。殺生は殿ばらのみなせさせ給ふ事なれどこれはむげのむやく事なり。この殿の御むすめ式部卿の宮、元平のみこの御女の腹の姬君、圓融院の御時の女御に參り給ひて、天延元年七月十一日后にたゝせ給ひて堀川の中宮と申しき。みこうまれ給はずなりにき。天延二年六月二日うせ給ひにき。をさなくおはしましゝほどは、いかなりけるにか、例の御おやのやうに常に見奉りなどもし給はざりしかば、御心いとかしこく又御後見などこそは申しすゝめけめ。物詣いのりをいみじうせさせたまひけるとか。稻荷の坂にてもこの女ども見奉りけり。いと苦しげにて御うしろおしやりて、あふがれさせ給ひける御姿つき、指貫のこしきはなども、さはいへど多くの人よりはけだかく、なべてならずぞおはしましける。かやうに勤めさせ給ふつもりにややうやうおとなび給ふまゝに、これよりおとななる御娘もおはしまさねば、さりとも后に立て奉らであるべきならねばかく參らせ奉らせ給ひて、いとやんごとなく