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せ給ひき。さしよりて「奏すべきこと」と申し給へば、立ちかへらせ給へるに、この文をひきいでゝ參らせ給へれば、とりて御覽ずれば、紫のうすえふ一かさねに故宮の御手にて、「關白をば次第のまゝにせさせたまへ。ゆめゆめたがへさせ給ふな」とかゝせ給へる、御覽ずるまゝにいとあはれげに思し召したる御氣色にて、「故宮の御手よ」などおほせられ、御文をばとりて入らせ給ひけりとこそは。さてかくいで給へるとこそは聞え侍りしか。いと心かしこくおぼしける事にて、さるべき御宿世とは申しながら、圓融院けうやうの心深くおはしまして母宮の御遺言たるべしとて、なしたてまつらせ給へりける、いとあはれなる事なり。その時賴忠のおとゞ右にておはしましゝかば道理のまゝならばこのおとゞのし給ふべきにてありしに、この文にてかくありけるとこそは聞え侍りしか。東三條殿もこの堀川殿よりは上臈にておはしましゝかば、いみじう思し召しよりたる事ぞかし。御はてのなきは一條殿のおなじにや。この殿の御袴着に貞信公の御もとに參り給へるを、物にそへさせ給ふとて貫之のぬしにめしたりしかば奉られたりし歌ぞかし。

  「ことに出でゝ心のうちにしらるゝは神のすぢなはぬ〈ひイ〉けるなりけり」。

ひきいで物に事をせさせ給へるにや。御かたちいと淸げにきらゝかになどぞおはしましゝ。堀川院にすませ給ひし頃、臨時かくの日寢殿のすみの紅梅盛に咲きたるを、事はてゝうへ參らせ給ふまゝに花の下にたちよらせ給ひて、一枝おしをりて御かざしにさして、けしきばかりうちかなでさせ給へりし日などはいとこそめでたく見えさせ給ひしか。この殿にはごや