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源氏物語


若菜上

朱雀院の帝ありしみゆきの後、そのころほひより例ならず惱み渡らせ給ふ。もとよりあつしくおはしますうちにこの度は物心細くおぼしめされて年比もおこなひのほい深きをきさいの宮のおはしましつる程はよろづ憚り聞えさせ給ひて今までおぼしとゞこほりつるを、猶そのかたに催すにやあらむ「世に久しかるまじき心地なむする」などのたまはせてさるべき御心まうけどもせさせ給ふ。御子達は春宮をおき奉りて女宮達なむ四所おはしましける。その中に藤壺と聞えしは先帝の源氏にぞおはしましける。まだ坊と聞えさせし時參り給ひて高き位にも定まり給ふべかりし人の、取り立てたる御うしろみも坐せず、母方もそのすぢとなく物はかなき更衣ばらにてものし給ひければ御まじらひの程も心細げにて、大后の內侍のかみを參らせ奉り給ひて傍にならぶ人なくもてなし聞え給ひなどせしほどにけおされて、帝も御心の中にいとほしきものには思ひ聞えさせ給ひながら、おりゐさせ給ひにしかばかひなく口惜しくて、世の中を怨みたるやうにてうせ給ひにし、その御腹の女三宮をあまたの御中にすぐれて悲しきものに思ひかしづき聞え給ふ。その程御年十三四ばかりにおはす。今はとそむきすてやまごもりしなむ後の世にたちとまりて誰をたのむかげにて物し給はむとすらむと、唯この御事をうしろめたくおぼしなげく。西山なる御寺造りはてゝ、移ろはせ