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ありしよりもしばしば物し給ふなり。しもの人々の忍びて申ししは、女をなむ隱しすゑさせ給へる。けしうはあらずおぼす人なるべし。あのわたりにらうじ給ふ所々の人、皆仰にて參り仕うまつる。とのゐにさしあてなどしつゝ、京よりもいと忍びて、さるべき事など問はせ給ふ。いかなるさいはひびとの、さすがに心ぼそくて居給へるならむとなむ、唯このしはすの頃ほひ申すと聞き給へし」ときこゆ。いと嬉しくも聞きつるかなと思ほして、「たしかにその人とはいはずや。かしこにもとよりある尼ぞとぶらひ給ふと聞きし」。「尼は廊になむ住み侍りける。この人は今たてられたるになむ。きたなげなき女房などもあまたして、口惜しからぬけはひにてゐて侍る」と聞ゆ。「をかしきことかな。何の心ありて、いかなる人をかはさてすゑ給ひつらむ。猶いと氣色ありて、なべての人に似ぬ御心なりや。左のおとゞなど、この人のあまり道心に進みて山寺によるさへともすれば泊り給ふなる、輕々しさともどき給ふと聞きしを、げになどかさしも佛の道には忍びありくらむ、猶かのふるさとに心をとゞめたるとなむ聞きし。かゝることこそはありけれ、いつら人よりはまめなるとさかしがる人しも、ことに人の思ひいたるまじき、くまあるかまへよ」とのたまひて、いとをかしとおぼえたり。この人はかの殿にいとむつましく仕うまつるけいしの聟になむありければ、かくし給ふ事も聞くなるべし。御心のうちには、いかにしてこの人を見し人かとも見定めむ、かの君のさばかりにてすゑたるは、なべてのよろしき人にはあらじ、このわたりには、いかでかうとからぬにかあらむ、心をかはしてかくし給へりけるも、いとねたうおぼゆ。唯そのことをこの