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えたり。またぶりに山たちばなつくりて、つらぬき添へたる枝に、

 「まだふりぬものにはあれど君がため深きこゝろにまつと知らなむ」と、ことなることなきを、かの思ひわたる人のにやとおぼしよりぬるに、御目とまりて、「返事し給へ。なさけなし。かくい給ふべき文にもあらざめるをなど御氣色のあしき、まかりなむよ」とて立ちたまひぬ。女君少將などして、「いとほしくもありつるかな。幼き人の取りつらむを、人はいかでか見ざりつるぞ」など忍びてのたまふ。「見給へましかば、いかでかは參らせまし。すべてこのこは心ちなうさしすぐして侍り。おひさき見えて人はおほどかなるこそ、をかしけれ」などにくめば、「あなかま。幼き人な腹だてそ」とのたまふ。こぞの冬人の參らせたるわらはの、顏はいと美しかりければ宮もいとらうたくし給ふなりけり。我が御方におはしまして、あやしうもあるかな、宇治に大將の通ひ給ふことは年頃絕えずと聞く中にも、忍びて夜泊り給ふ時もありと人のいひしを、いとあまりなる人のかたみとて、さるまじき所に旅寢し給ふらむことゝ思ひつるは、かやうの人かくし置き給へるなるべしと、おぼしうることもありて、御文のことにつけ、つかひ給ふ大內記なる人の、かの殿に親しきたよりをおぼし出でゝお前に召す。まゐれり。ゐんふたぎすべきに、集どもえり出でゝ、こなたなる厨子につむべきことなどのたまはせて、「右大將の宇治へいますること猶絕えはてずや。寺をこそいとかしこく造りたなれ。いかでか見るべき」とのたまへば、「いとかしこくいかめしく造られて、不斷の三昧堂など、いとたふとくおきてられたりとなむ聞き給ふる。かよひ給ふことは、こぞの秋頃よりは、