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おぼしたれば、おぼさるゝやうこそあらめ、かるがるしくことざまに靡き給ふことは、はた世にあらじと、心のどかなる人はさはいへどよく思ひしづめ給ふ。「唯いと覺束なく物隔てたるなむ胸あかぬ心ちするを、ありしやうにて聞えむ」とせめたまへど「常よりも我が俤に恥づるころなれば、うとましと見給ひてむも、さすがに心苦しきはいかなるにか」とほのかにうち笑ひ給へるけはひなど、あやしうなつかしうおぼゆ。「かゝる御心にたゆめられ奉りて、つひにいかなるべき身にか」となげきがちにて、例の遠山鳥にて明けぬ。宮はまだ旅ねなるらむともおぼさで、「中納言のあるじがたに心のどかなる氣色こそうらやましけれ」とのたまへば、女君あやしと聞き給ふ。わりなくておはしましては程なくかへり給ふが飽かず苦しきに、宮も物をいみじくおぼしたる御心のうちを知り給はねば女がたには、又いかならむ人わらへにやと思ひなげき給へば、げに心づくしに苦しげなるわざかなと見ゆ。京にもかくろへて渡り給ふべき所もさすがになし。六條院には、左のおほいとの片つ方に住み給ひて、さばかりいかでかとおぼしたる六の君の御事をおぼしよらぬになまうらめしと思ひ聞え給ふべかめり。すきずきしき御さまとゆるしなくそしり聞え給ひて、うちわたりにも憂へ聞え給ふべかめれば、いよいよおぼえなくて、出しすゑ給はむもはゞかることいとおほかり。なべてにおぼす人のきはゝ宮仕のすぢにてなかなか心やすげなり。さやうのなみなみにはおぼされず。若し世の中うつりて、帝きさいのおぼしおきつるまゝにもおはしまさば、人よりたかきさまにこそなさめなど、只今はいと華やかに、御心にかゝり給へるまゝに、もてな