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きかへたるやうに殿の內しめやかになりゆく。かんの君の御近きゆかりそこらこそは世にひろごり給へど、中々やんごとなき御なからひのもとよりも親しからざりしに故殿のなさけ少しおくれ、むらむらしさ過ぎ給へりける御本性にて、心おかれ給ふこともありけるゆかりにや誰にもえなつかしう聞え給はず。六條院にはすべて猶昔に變らず、かずまへ聞え給ひて、うせ給ひなむ後の事ども書きおき給へる御そうぶんの文どもにも、中宮の御次に加へ奉り給へれば、右の大殿などはなかなかその心ありてさるべき折々音づれ聞え給ふ。男君達は御元服などしておのおのおとなび給ひにしかば、殿おはせで後心もとなく哀なることもあれどおのづからなり出で給ひぬべかめり。姬君達をいかにもてなし奉らむとおぼしみだる。うちにも必ず宮仕のほい深きよしをおとゞの奏し置き給ひければ、おとなび給ひぬらむかしと年月を推し量らせ給ひて仰言絕えずあれど、中宮のいよいよならびなくのみなりまさり給ふ御けはひにおされて、皆人無德にものし給ふめる、末にまゐりて遙に目をそばめられ奉らむもわづらはしく、また人におとり數ならぬさまにて見むはた心づくしなるべきをおぼしたゆたふ。冷泉院よりいとねんごろにおぼしのたまはせて、かんの君の昔ほいなくて過ぐし給ひしつらさをさへとりかへし恨み聞え給ひて、「今はまいてさだすぎ、すさまじきありさまに思ひ捨て給ふとも後安き親になずらへてゆづり給へ」といとまめやかに聞え給ひければ、いかゞはあるべきことならむ、自らのいと口惜しき宿世にて思の外に心づきなしとおぼされにしかば、耻しうかたじけなきをこの世の末にや御覽じなほされましなど定めか