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さまあはれなり。かゝる方にもおしなべての人ならずいとほしく悲しき人の御さまとおぼせば、あはれにわれだにこそはと御心とゞめ給へるもありがたきぞかし。御聲などもいと寒げに打ちわなゝきつゝ語らひ聞え給ふ。見煩ひ給ひて「御ぞどものこと後見聞ゆる人は侍るや。かく心やすき御住ひは唯いと打ち解けたるさまにふくみなえたるこそよけれ。うはべばかりつくろひたる御よそひはあいなくなむ」と聞え給へば、こちごちしくさすがに笑ひ給ひて、「醍醐の阿闍梨の君の御あつかひし侍るとて、きぬどもゝえ縫ひ侍らでなむ、かはぎぬをさへとられにし後寒く侍る」と聞え給ふはいと鼻赤き御せうとなりけり。心うつくしといひながらあまり打ち解け過ぎたりとおぼせど、此處にてはいとまめにきすく人にておはす。「かはぎぬはいとよし。山伏のみのしろごろもに讓り給ひてあえなむ。さてこのいたはりなき白妙の衣は、なゝへにもなどか重ね給はざらむ。さるべき折々は打ち忘れたらむことも驚し給へかし。もとよりをれをれしくたゆき心のをこたりに、まして方々のまぎらはしききほひにもおのづからなむ」とのたまひて、向ひの院のみくらあけさせて絹綾など奉らせ給ふ。荒れたる所もなけれど、住み給はぬ所のけはひはしづかにて御まへの木立ばかりぞいとおもしろく、紅梅の咲き出でたるにほひなど見はやす人もなきを、見わたし給ひて、
「ふるさとの春の木末にたづねきて世のつねならぬ花を見るかな」。ひとりごち給へど聞き知り給はざりけむかし。空蟬のあま衣にもさしのぞき給へり。うけばりたるさまにはあらずかごやかにつぼね住みにしなして、佛ばかりに所えさせ奉りて行ひ勸めけるさまあはれ