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少し押し遣り給ふ。わりなく耻しければそばみておはするやうだいなど、いとめやすく見ゆれば、嬉しくて、「今少し光見せむや。あまり心にくし」とのたまへば、右近かゝげて少しよす。「おもなの人や」と少し笑ひ給ふ。げにとおぼゆる御まみの耻しげさなり。いさゝかもこと人とへだてあるさまにものたまひなさず。いみじく親めきて「年比御ゆくへも知らで心にかけぬひまなく歎き侍るを、かうて見奉るにつけても夢の心ちして過ぎにしかたの事ども取り添へ忍びがたきに、えなむ聞えられざりける」とて御目おしのごひ給ふ。誠に悲しうおぼし出でらる。御年のほどかぞへ給ひて「親子の中のかく年經たるたぐひあらじものを契つらくもありけるかな。今はものうひうひしく若び給ふべき御程にもあらじを年比の御物語なども聞えまほしきに、などか覺束なくは」と恨み給ふに聞えむこともなく耻しげれば、「足立たずしづみそめ侍りにける後何事もあるかなきかになむ」とほのかに聞え給ふ聲ぞ昔人にいとよくおぼえて若びたりける。ほゝゑみて、「しづみ給へりけるをあはれとも今はまた誰かは」とて心ばへいふかひなくはあらぬ御いらへとおぼす。右近にあるべき事のたまはせてわたり給ひぬ。めやすくものし給ふを嬉しくおぼしてうへにも語り聞え給ふ。「さる山がつのなかに年經たればいかにいとほしげならむとあなづりしを、かへりて心耻しきまでなむ見ゆる。かゝるものありといかで人に知らせて、兵部卿の宮などのこのまがきのうちこのましうし給ふ心みだりにしがな。すきものどものいとうるはしだちてのみこのわたりに見ゆるもかゝるものゝくさはひのなきほどなり。いたうもてなしてしがな。猶うちあらぬ人