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Page:Kokubun taikan 01.pdf/434

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て、「いといたくこそ田舍びにけれな。中將殿は昔の御おぼえだにいかゞおはしましゝ。まして今は天の下を御心にかけ給へる大臣にていかばかりいつかしき御なかに、御かたしもずりやうのめにて品定りておはしまさむよ」といへば、「あなかまたまへ。大臣たちも暫しまて、大貳のみたちのうへのし水の御寺の觀世音寺に參り給ひしいきほひは帝のみゆきにやは劣れる。あなむくつけや」とて猶更に手をひき放たず拜み入りて居り。筑紫人は三日籠らむと志し給へり。右近はさしも思はざりけれどかゝるついでにのどかに聞えむとて籠るべきよし大德呼びていふ。御あかし文など書きたる心ばへなどさやうの人はくだくだしう辨へければ常のことにて例の藤原の瑠璃君といふが御ために奉る「能く祈り申し給へ。その人この頃なむ見奉り出でたる。そのぐあんもはたし奉るべし」といふ、聞くもあはれなり。法師「いとかしこきことかな。たゆみなく祈り申し侍るしるしにこそ侍れ」といふ。いと騷しう夜一夜行ふなり。明けぬれば。知れる大德の坊におりぬ。物語心やすくとなるべし。姬君のいたくやつれ給へる、恥しげにおぼしたるさまいとめでたく見ゆ。「おぼえぬたかきまじらひをして多くの人をなむ見あつむれど、殿のうへの御かたちに似る人おはせじとなむ年比見奉るを、又おひ出で給ふ姬君の御さまいとことわりにめでたくおはします。かしづき奉り給ふさまもならびなかめるにかうやつれ給へるさまの劣り給ふまじく見え給ふはありがたうなむ。おとゞの君、父帝の御時よりそこらの女御后それよりしもはのこりなく見奉り集め給へる御めにも、たうだいの御母后と聞えしとこの姬君の御かたちとをなむよき人とはこれを