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あらたなるしるし顯はし給ふともろこしにだに聞えあなる、まして我國のうちにこそ遠き國のさかひとても年經給ひつればわが君をばまして惠み給ひてむ」とて出し奉る。殊更にかちよりと定めたり。ならはぬ心地にいと侘しく苦しけれど人のいふまゝに物もおぼえで步み給ふ。「いかなる罪深き身にてかゝる世にさすらふらむ。我が親世になくなり給へりとも我をあはれと覺さばおはすらむ所にさそひ給へ。もし世におはせば御顏見せ給へ」と佛を念じつゝありけむさまをだにおぼえねば唯親おはせましかばとばかりの悲しさを歎きわたり給へるに、かくさしあたりて身のわりなきまゝにとりかへしいみじくおぼえつゝ辛うじてつばいちといふ所に四日といふ巳の時ばかりに生ける心地もせでいきつき給へり。步むともなくとかくつくろひたれど足のうら動かれず侘しければせむ方なくて休み給ふ。このたのもし人なるすけ、弓矢持ちたる人二人、さてはしもなるものわらはなどみたりよたり、女ばらあるかぎり三人、つぼさうぞくしてひすましめくものふるきげす女ふたりばかりとぞある、いとかすかに忍びたり。おほみあかしのことなどこゝにてしくはへなどするほどに日暮れぬ。家あるじの法師「人やどし奉らむとする所に何人の物し給ふぞ。怪しき女どもの心に任せて」とむづかるをめざましく聞くほどにげに人々來ぬ。これもかちよりなめり。よろしき女二人しも人どもぞをとこ女かず多かめる。馬四つ五つひかせていみじく忍びやつしたれど淸げなる男どもなどもあり。法師はせめてこゝに宿さまほしくして、かしらかきありく。いとほしけれど又宿りかへむもあさましく煩はしければ人々は奧に入りとにかくしな