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みせられて悲しかりける。

 「浮島を漕ぎ離れても行く方やいづくとまりと知らずもあるかな」。

 「行くさきも見えぬ波路に船出して風にまかする身こそうきたれ」。いとあとはかなき心地してうつぶし給へり。かく逃げぬるよしおのづから言ひ出でつたへばまけじだましひにて追ひきなむと思ふに、心も惑ひて早船といひてさまことになむ構へたりければ思ふ方の風さへ進みて危きまで走りのぼりぬ。ひゞきの灘もなだらかに過ぎぬ。海賊の船にやあらむ、ちひさき船の飛ぶやうにてくるなどいふものあり。海賊のひたぶるならむよりもかの恐しき人の追ひ來るにやと思ふにせむかたなし。

 「憂きことに胸のみ騷ぐひゞきにはひゞきの灘もさはらざりけり」。川尻といふ所近づきぬといふにぞ少し息出づる心地する。例の船子ども「からどまりより川尻おすほどは」と謠ふ聲のなさけなきもあはれに聞ゆ。豐後の介あはれに懷しく謠ひすさびて「いと悲しきめこも忘れぬ」とて思へばげにぞ皆うち捨てゝける、いかゞなりぬらむ、はかばかしく身のたすけと思ふ郞等どもは皆ゐて來にけり、われをあしと思ひて追ひまどはしていかゞしなすらむと思ふに、心をさなくもかへりみせで出でにけるかなと、少し心のどまりてぞあさましきことを思ひつゞくるに心弱くうち泣かれぬ。「胡の地のせいじをば空しくすてすてつ」とずするを兵部の君聞きて、げに怪しのわざや、年比從ひ來つる人の心にも俄にたがひて逃げ出でにしをいかに思ふらむとさまざま思ひつゞけゝる。かへるかたとてもその所といきつくべ