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ゝみ「又今更にかひなきことによりてわがなもらすな」と口固め給ひしを憚り聞えて尋ねても音づれ聞えざりしほどに、その御めのとのをとこ少貳になりていきければくだりにけり。かの若君の四つになる年ぞ筑紫へはいきける。母君の御ゆくへを知らむとよろづの神佛に申してよるひる泣き戀ひてさるべきところどころを尋ね聞えけれど遂にえ聞き出でず。さらばいかゞはせむ。若君をだにこそは御かたみに見奉らめ、あやしき身に添へ奉りて遙なるほどにおはせむことの悲しきことなどを父君にほのめかさむと思ひけれど、「さるべきたよりもなきうちに母君のおはしけむかたもしらず尋ね問ひ給はゞいかゞきこえむ。又よくも見なれ給はぬに幼き人をとゞめ奉り給はむも後めたかるべし。知りながらはた、ゐてくだりねと許し給ふべきにもあらず」などおのがしゝ語らひあはせて、いとうつくしう只今からけ高く淸らなる御さまを、ことなるしつらひなき船に載せて漕ぎ出づるほどはいとあはれになむおぼえける。幼き心ちに母君を忘れずをりをりに「母の御許へいくか」と問ひ給ふにつけて淚絕ゆる時なくむすめどもゝ思ひこがるゝを、「ふなみちゆゝし」とかつは諫めけり。おもしろきところどころを見つゝ心わかうおはせしものを、かゝる道をも見せ奉るものにもがな、おはせましかば我等は下らざらましと京の方を思ひやらるゝに、かへる波も羡しく心ぼそきに、船子どもの荒々しき聲にて「うらがなしくも遠く來にけるかな」と謠ふを聞くまゝに、二人さし向ひて泣きけり。

 「船人も誰をこふとかおほ島のうらがなしげに聲の聞ゆる」。