Page:Kokubun taikan 01.pdf/128

提供:Wikisource
このページは校正済みです

ことわりなれ。かばかり心ぼそき御有樣になほ世をつきせず覺し憚るはつきなうこそ」と敎へ聞ゆ。さすがに人のいふことは强うもいなびぬ御心にて、「いらへ聞えで唯聞けとあらば格子などさしてはありなむ」とのたまふ。「簀子などはびんなう侍りなむ。おし立ちてあはあはしき御ふるまひなどはよも」などいとよくいひなして、二まのきはなるさうじ手づからいと强くさして御しとねうち置きひきつくろふ。いとつゝましげにおぼしたれど、かうやうの人に物言ふらむ心ばへなども夢にも知り給はざりけれぼ、命婦のかういふを、あるやうこそはと思ひて物し給ふ。めのとだつおい人などはざうしに入り臥して夕惑ひしたるほどなり。若き人二三人あるは世にめでられ給へる御有樣をゆかしきものに思ひ聞えて心げさうしあへり。宜しき御ぞ奉りかへつくろひ聞ゆれば、さうじみは何の心げさうもなくておはす。男はいとつきせぬ御さまをうち忍び用意し給へる御けはひいみじうなまめきて、見知らむ人にこそ見せめ。何のはえあるまじきわたりを、あないとほしと命婦は思へど、唯おほどかに物し給ふをぞうしろやすう、さし過ぎたる事は見え奉り給はじと思ひける。我が常に責められ奉るつみさりごとに、心苦しき人の御物思ひや出でこむなど安からず思ひ居たり。君は人の御程をおぼせばされくつがへる今やうのよしばみよりはこよなう奧ゆかしとおぼしわたるに、とかうそゝのかされてゐざり寄り給へるけはひ忍びやかにえびのかいとなつかしう薰り出でゝおほどかなるを、さればよとおぼさる。年ごろ思ひわたるさまなどいとよくのたまひ續くれど、まして近き御いらへは絕えてなし。わりなのわざやとうち歎き給ふ。