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上級に位するが、時服及び食糧などは賜はらない。

 次に今來隼人とは、新來の隼人の意で、男子と女子とあり、始め新に薩・隅兩國から入京した隼人を指したのであるが、後には職名に過ぎない事となつた。 その任とする所は、前述の元日・即位等の外踐柞・大嘗等の大儀及び行幸に供奉して吠聲を發するものである。 延暦二十四年十二月、經費節減のため、冗員を淘汰した際、隼人男女各四十人であつたものを、二十人づゝに減じてゐるが、それは今來の隼人のみの事か、或は番上隼人を含めての事かとも考へられるが、確な事は詳かでない。なほ缺員は畿内の隼人から補ひ、大衣に教育され、地位は番上の隼人よりも低く、時服・食料等を支給されるのであつた。

 白丁隼人は、元日・即位・踐柞・大嘗及び蕃客入朝等の際にのみ召集するのであつて、其の前に豫め隼人司が太政官に申して諸國の隼人を召し集め、其の期間中は食料を賜ふのである。 そして踐柞・大嘗等の儀に際しては應天門の左右に陣し、北向に立つて風俗歌舞を奏するのである。

 隼人召集は延喜以後も同様で、北山抄には、大嘗會に召さるゝ隼人のことを載せて、大和十人・河内十二人・和泉七人・攝津二十人・丹波二十四人、伊勢七人と見える。 而して此の北山抄に記された召さるゝ隼人の數は、後世永く踏襲されたかと考へられるのである。