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平は大隅の地名であるのに、吾田邑の御方とするは元來、吾田君の一族の御方である故であらう。 神武天皇は御年四十五歳にして、御兄五瀬命と共に高千穂宮に議して大和の方に御東遷せられたのであるが、從つて天皇の御東遷にはこの地方のものが多く随ひ奉つた事は推測するに難くない。殊に外戚吾田君の一族は隼人族を率ゐて御軍にお供申した事と思はれる。 後に大和の朝廷に於いて兵衛の任に當つた久米部の部民が、即ち神武天皇に御随伴したこれ等のものゝ後であらうと説かれてゐる。