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 河川としては霧島火山の北麓、吉松盆地に源を發し、大口・宮之城等を經て東支那海に注ぐ川内川が最も大であつて、流域百五十八粁餘、船揖の便は三十九粁餘に及び、九州三大河の一に數へらる。 その他は地形上大河なく、僅に次の諸川を數へるのみである。先づ不知火海廣瀬川は下流を米ノ津川とも云ふ、其の西なる高尾野川と野田川とは下流が一となつて海に注いでゐる。次に西海に注ぐ川としては萬瀬川が最も大きく、下流に川邉盆地、下流には阿多・加世田等の古邑がある。鹿兒島灣方面では、谷山の永田川、鹿兒島市を貫流する甲突川、加治木地方の別府川、國分地方の新川、垂水地方の本城川、小根占の雄川等があり、有明灣方面では、串良・姶良の二川が肝屬川に入つて東流し、菱田川と安樂川とは共に南流してゐる。

 上述の如き地勢なるに依って、平野は割合に尠く、管内總反別九十一萬八千町歩、其の内耕地總面積は十八萬五千六百七十四町歩(内田は、六萬三千七百九町歩、畑は十二萬一千九百六十四町歩)である。多くは諸山脈の間及び海岸地方、河川に因つて開かれた土地であつて、北より云へば、廣瀬・高尾野・野田等の諸川によつて形成された沖積層の出水平原は煙草の産地として名高く、次に川内川流域には伊佐米の産地なる大口盆地、養蠶地として名高き宮之城盆地等があり、下流には川内平野がある。 川内平野は古く薩摩國府が在つた地で、今も本縣第二の都會川内町がその中心となつてゐる。 串木野以南、西海岸に沿ひても平野發達し、萬瀬川流域地方に至つてもっとも廣大である。次に鹿兒島灣沿岸では、国分平原が最も廣く、古く大隅國府が置かれた地で、後世煙草の産地として有名である。 其の他、蒲生川の中流に沿ふ蒲生盆地、その下流なる別府川及び網掛川に因つて形成された加治木平原があり、、この外甲突・永田・本城等の河川の下流には多少平野を見るが殆ど云ふに足らない。之に反して大隅半島の東側、有明灣に沿ふ地には、姶良・高山・肝屬・串良・田原・菱田・安樂等の諸河川に因つて形成された大隅平原が海岸より高隈山麓に及び、鹿屋・高山・串良・大崎・志布志等の名邑を包括し、縣下第一な廣大な地域を占めてゐる。 古代大隅の豪族の本據は恐らく此の地であらう。而して笠野原及び鹿屋臺地は其の西に位してゐる。

不知火海の南岸は、其の西方、長島・獅子島等が半島状をなして北方に延び、肥後の葦北郡と共に灣形の海を抱き、又蕨島・桂島等の小島が散在してゐる。米