Page:KōgaSaburō-Yōkō Murder Case-Kokusho-1994.djvu/5

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ので万助さんが帰って来られたようだと云って、外へ出られました。すると、その途端に、パンと云う妙な音がして、ハッと思う間もなく、うちのが飛込んで来まして、いきなり私に打ってかかると、訳も云わずに、こん畜生、太いあまだと、踏んだり蹴ったり、とても乱暴をしました。私は、弁解する事も出来ず、ヒイヒイと苦しい声を上げるばかりでした」

 女房が係官の訊問に答える間、万助は何回となく、

「うぬ、畜生! 噓つきめ」

 と叫んで、彼女に打ってかかろうとして、その都度つど刑事に抱き留められたが、いよいよ女房の話がすむと、

「あいつの云った事はみんな嘘です。あっしは、すっかり見ていたんです。あいつは、あの男を、あっしの留守に引張り込んで、巫山戯ふざけた真似をしていたに違いありません」

「見ていたって」

 女房の話す所が真実らしいと感じていた係官は、見ていたと云う万助の言葉に、やや驚きながら、

「どこで見ていたのか」

「遠くで見ていました」

「遠くで?」

「へい。芝から見ておりました」

「なにッ」

 係官はわが耳を疑うように、眼をパチパチさせながら、万助の顔をしげしげと眺めた。芝から、このS町までは鳥の飛ぶ距離にして、十キロに余るだろう。係官の頭には、早くもこの時に、万助の精神状態を疑う念が、ムラムラと起ったのだった。

 万助はしかし、真剣だった。

「芝から見ていました。それに違いありません」

「芝から、どうして、ここが見えるか」

 係官が呆れるように云うと、万助はニヤリと、不気味なえみを浮べた。

「旦那方は、そう云う便利な発明があるのを、無論、御存じだと思いますが、あっしは、テレビジョンていうやつで見ていたんですよ」

 この、一見粗野な、無教育らしい労働者風の男の口から、思いがけなく、最新科学に属する片仮名が飛出したので、係官は吃驚びつくりしたが、同時に、万助の精神状態を疑ってもいられなくなったので、

「なに、テレビジョンで見た。ふむ、くわしく話して見ろ」

「あっしは、今日夕方から浅草へ遊びに行きました。すると、八時頃、山羊やぎ鬚を生やした立派な紳士に、八木万助さんじゃないかと云つてね。馴々なれなれしく呼び留められたのです。あっしはまるで見覚えのない人だったので、薄気味が悪かったのですが、無理やりに近所の小料理屋に連れ込まれて、散々さんざん御馳走になりました。初めのうちはどうも変でしたが、しまいには何だか昔から知っているような気がしましてね、その癖、誰だか、さっぱり分らないんですけれども、勧められるままに、鳕腹たらふく呑んだと云う訳なんです。そのうちに、万助さん、うちへ来ないかいと云いますからね、酔った勢いでさあ、参りましょうてんで、出かけました。

 自動車に乗せられて、スーッといつたんで、酔眼モーローていママんですかね、眼がボーッとしていたんで、芝のどの辺だか、よく覚えていません。何でもね、立派な洋館造りでしたよ。ところが、あっし