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原稿料の袋


 探偵小説家の土井どい江南こうなんは、酔眼朦朧もうろうとして、三杯目のウイスキー・ソ—ダをチビチビめて、彼の非常に愛用している、しかし、酔えば必ずどこへでも置き忘れる所の、シンガポールで買ったと云う籐製の細身のステッキを、何回となく床の上滑り落しながら、同じ作家仲間の卓聞堂たくぶんどう編輯部の床水とこみず政司まさしの、これも酔えば必ず始まる所の饒説を茫然ぼんやり聞いていた。晚秋の一夜だった。

「そやけどなあ、吉右衛門はりまやえでなあ――」

 床水はいつもの通り、変にそわそわしながら、ねばりのある女性的な関西弁で、熱心に云うのだった。

あたいも見たいなあ」

 矢張作家仲間の、猟奇趣味と云う滅多に原稿料を出さない雑誌の編輯をしている満谷みつたにじゆんが、いくら飲んでも、又どんな事があっても、決して興奮の赤味と云うものを出さない所の、蒼白い無表情な顔で、彼等の仲間の通語で相槌を打った。

 彼等は宵に、虎之門附近の或る支那料理店でかなり飲んでから、尚二三軒飲み廻り、最後にこの銀座裏の小さなカフェ・コルネリアに来たので、時刻も大分遅く既にそれぞれ相当に酔っていた。だから折から一隅では来客の間に喧嘩が起っていたが、床水も満谷も一向そんな事には無関心で、喋り続けていた。ただ土井だけが少しばかり喧嘩の方に気を取られていた。と云っても彼は床水の話も聞いてはいたので、喧嘩と床水の話と、わめくような蓄音機のジャズとが、彼の麻痺しかかった耳に混沌として夢のように交錯していたのだった。

手前てめえに云ったんじやねえやい。間抜め」

 呶嗚ったのはかなり大きい強そうな洋服男だった。手には太いステッキを握っていた。

「俺を殴ると云うのかい。じゃ殴られてやらあ」

 対手あいての男は和服姿の弱そうな瘦せこけた男だった。

「手前みたいなヒョ口ヒョロした奴を殴つて、首が落っこちるといけねえから、しとかあ」

 弱そうな男は何とか云って立上ろうとしたが、友人らしい男に止められていた。

「手前に云ったんじやねえやい。感違いしやがって、間抜め。酔わねえ時にやって来い、いつでも対手してやらあ。俺は毎晩銀座に来ているんだ。いつでも来い」

 大男は図に乗って罵るのだった。

啖呵たんかうまい奴だな」

 土井はちょっと感心したが、同時に弱そうな男の方に同情心めいたものが起って、仲裁してやろうかなと云う気がした。が別に取り留めた理由もなく、直ぐ止めてしまった。と、土井は何となくこの力フェが居心地が悪くなったのだ、突然叫んだ。