「まあ、好いよ、君、そう隠さなくても。僕は警察の者じゃないからね」彼は
「僕はむしろ君を救ってやろうと思っているのだ。と云っても、僕は決して人殺しを認めるのではないよ。大いに反対なんだよ。しかしね、考え方によっては人殺しと云う奴は哀れな者なんだ。人殺しに二種あってね、対手
青年は悠々とした態度で、独り合点をしながら、能弁に
「僕は人殺しじゃない」
ようやく正気に復した土井は、弁解する事さえが、馬鹿々々しく感ぜられるのだった。
「そうか」青年は気の毒そうに土井を見ながら、「そんなら尚更僕は君を救わなければならぬ。君はどうしたって、そのままの状態では殺人罪から逃れる事は出来ないぜ。君はそうは思わないかい」
「思わない」土井はきっぱり答えた。「実際僕はしないのだから、いくらでも云い解く方法はあると思う」
「ハハハハ、君はお坊ちゃんだ」青年はカラカラ笑いながら、「警察のやり方を知らないのだ。君のような立場にいてはまあ逃れる途はないね。僕でさえ君を真犯人だと思うからね」
「冗談云っちゃいけない。僕は全く知らないのだ」
「ふん、しかしだね、君はどうしてこう云う所へ来たと云うのだ。そしてどうして殺された女の傍に、 血だらけの短刀を握って立っていた事を弁解するのだ」
「事実を述べるだけさ」
土井はこう云い放ったが、冷静に考えて見ると、この深夜に起った事件は余りにも怪奇を極めたものだった。容易に人に信じられない出来事だった。もし、あの怪老人が自首して出なかったら、土井の立場は非常に危険になりはしないか。
「ここでくどくど云っているうちに、警官でも来たら大変だ」青年は静かに云った。「真犯人にもせよ、そうでないにもせよ、こんな所は少しも早く
この青年は一体何者だろうか。土井はこの不意に現われた奇妙な青年をつくづくと見た。悪意のなさそうなキビキビした青年である。自分の立場が見ようによっては危険至極である事を自覚した土井は、とにかく、この頼もしげに見える青年の言葉に従う事にした。
「外へ出て、巡回にでも見つかると面倒だから、こう来給え」
青年は先に立って室を出ると、階段を降りようとせず、突当りの壁を押した。と、壁はクルリと廻転して、ポカリと屋根に出る穴が開いた。
星のない大空は暗澹として拡がっていた。真っ黒な屋根が刺々しく積み重なっていた。
足許の屋根を一
雑然とした部屋だった。一隅には粗末な寝台が一つ置いてあった。壁には脱ぎ棄てた和服洋服がだらしなく掛けてあった。古びた机に壊れかかった椅子が一つ、表紙の取れた雑誌らしいものが一二冊、机の上に置かれていた。