Page:KōgaSaburō-Sōta's Experience-1994-Kokusho.djvu/8

提供:Wikisource
このページは検証済みです

女の顔を見るのが身を切るより辛いのでございます。それに遭わせてくれるかどうか、それさえ分りません。丁度お通り合せのあなた様、一生のお願いでございます。何とかお力添え下さいませんでしょうか」

 惣太はさっきからズボンのポケットへ手を入れて、紙幣さつ束を摑みながら、うずうずしていた。早くおかみさんの話がすめばいいと、きっかけを待っていたのである。ちゃんと五百円耳が揃っているかどうか分らぬが、とにかくこれはあの男が銀行から盗んで来たものに違いない。盗んだ金を盗んだ訳で、考えて見りゃ、あいこで、この金は俺に授ったものだけれども。こうおかみさんに口説かれては見殺しにする訳に行かない。ええ、元々だ、返えママしてやれ、――彼はこう思ったのである。思ったからには気早の惣太、おかみさんの話に区切りがつくと、忽ち紙幣束を突きつけた。

「そいつは気の毒だ。だがね、おかみさん、御亭主はもうその金を持っていないぜ。きっと女にくれてやったに違いない。これからあの宅へ行って、すったもんだと騒ぎ廻っても、無事に戻るかどうか分らない、第一亭主の恥をさらすばかりだ。幸いと私はここに少しばかり持合せがある。足りるか足りないか知らないが、課長さんに頼めば、どうとかしてくれるだろう。亭主の方の始末は俺が引受けるから、とにかくこれを持って、一度帰りなさい」

 一気にこう云い切ると、惣太は驚くおかみさんの手に紙幣束を無理やりに握らして、きびすを返すと、さっさと元来た道に引返えママした。おかみさんは後を追おうともせず、ぼんやり立っていた。

 惣太は元の洋館に引返えママすと、忽ち窓を破って飛び込んだ。中でキャッと異様な叫声が聞えた。はっと驚く想太の前に、背の高い年寄の西洋人がピストルを突きつけて立っている。その後ろに婆さんが震えている。

「だれ! だれ!」西洋人は叫んだ。

「こいつはいけねえ、あぶねえあぶねえ」惣太は手を振った。

「早く、出て行くよろし。ピストル打つぞ」西洋人は呶嗚った。

 惣太は毬の如く窓から飛び出した。何が何やら分らなかったが、つまり惣太は以前の洋館の隣へ這入ったのだった。

「驚いた、驚いた。ピストル打つぞと来やがった。ドンとやられてたまるもんけえ」

 惣太は隣の洋館に近寄った。窓から燈火あかりが洩れている。覗いて見ると、さっきの男が、チョッキのボタンをはずしたまま長椅子に長々と寝ている。

 窓から飛び込むと、ピストルの恨みもある、惣太はいきなり男の頰をり飛ばした。男はムニャムニャと云っただけで、又眠ろうとする。二発、三発目にようやく男は起き上った。

「痛いっ! 何をするのだ」彼は寝惚ねぼまなこをこすって惣太の立姿を見ると、タジタジと後へ下った。

「誰だ! き、君は!」

「誰も蜂の頭もあるもんけえ。鼻の下を長くしやがって、ちったあ女房の事でも考えろ」

「あら、乱暴じゃありませんか。誰なの?」

 女の声が後ろでした。

 振り向くと、くちびるの真赤な洋服女、無論それが巴里パリーの職業女の厚化粧の真似とは、惣太知る由もなかったが、虫酢むしずが走った。

「おや、出たな。化物め! 指輪をくすねて靴の中へ入れやがって、――」

 惣太が尚も云おうとすると、蒼くなった女はツカツカと惣太の傍へ来てさえぎった。惣太の袖を引きな