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いているのだった。華奢な恐ろしく踵の高い靴を穿いている。つまり洋装した女の足なのだ。男の膝に腰をかけて両足をピンピン振っているのだ。大方おおかた両手で男の頸にブラ下っているのだろう。惣太はようやくこれは西洋人夫婦だなと思った。しかし彼はそれを直ぐに取消した。日本人に違いないと思った。足で区別したのではない、頭上の会話がまぎれもない日本語だったからである。

「よく来て下すったわねえ」女の声。

「うん――」男の声。

「ほんとうにわたし待っていたのよ」

「そうか」

「あなた。あれ持って来て下すって」

「うん、持って来たよ」

「まあ、嬉しい、あなたはほんとうに実があるわねえ」

 女の足が急に運動を止めたかと思うと、チュッと云う異樣な音が聞えママた。

 惣太は思わず低声こごえで畜生! と云った。もし長椅子がも少し軽いか、それとも男の方が腰をかけていなかったら、この長椅子は女を乗せたまま躍り上ったかも知れない。いずれにしても、惣太が腹を立てたにもかかわらず、長椅子がビクともしなかったのは、彼にとっても女にとっても幸な事であった。

「あなた、なぜそんなに妾をじろじろ見るの」

「余り美しいからさ」

「あら、お世辞が好いのね」

「君位美しいとずいぶん惚れ手があるだろうね」

「ないわよ。誰も惚れてなんかくれないわ」

「そんな事があるもんか、誰だって惚れるよ」

「じゃ、あなたでも」

「無論さ、でも片思いだから仕方がない」

「あら、片思いはないでしょう。あたしの方がよっぽど片思いだわ」

「――」

「あら、また恐い顔をするのね、あなた今晩は何だか変だわ。どうかなすったの」

「どうもしやしない」

「じゃ、機嫌をよくして下さいな」

 惣太は長椅子の下でへた張りながら又チェッと云った。女の足は相変らず、ブランブランと彼の鼻を掠める。気早の惣太もう我慢がならなかった。飛び出そうとするとたんに、不思議な事が起った。ブランブランしている足のさきから靴がパッと床に落ちた。いや女が脱いだのだ。惣太は驚いた。踵の高い女靴がああ簡単に脱げるものとは思わなかった。が、もっと驚いた事は、女の白い手がスゥーと上から降りて来て、靴に近づいたかと思うと、キラリ、靴の中へ小さな光るものを落し込んだ。次の瞬間にそそくさと足尖あしさきが靴を引っかけたと思うと、又ブランブラン始めた。

「おや」惣太は首を縮めた。「この女は仲間かな」

「あなた、今日は陽気に一つ飲みましょうね」上では会話が始まる。

「僕はだめだよ」