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を洩れ聞くのであるから、決して気づかれる恐れはないと信じた。次に彼は北田青年の殺害されている場面に玉代夫人が恰度居合せる方法を考案した。即ち、発声フィルムが最後に近づき、北田が (即ち博士の声色) 玉代夫人に殺された事を叫ぶと同時に、室外に立聴いていた博士と博士の友人が、書斎内に駈け込むと、北田の死体を前にして、玉代夫人が茫然と突立っていると云う方法である。

 この方法を考案するのに、博士はかなり苦心したが、考えつくと、彼は非常に狂喜した。この考案が、博士をしてその犯罪を実行するのに、一層興味を持たしめたものと考えられる。その考案と云うのは、彼は先ず書斎の隣室に妻を幽閉する。そうして、書斎内に北田をおびき入れて殺害する。隣室の出来事であるから、無論彼女に博士が何をしているか分るに違いない。彼女は驚き悲しみ、歎き狂い、室内を暴れ廻るであろう。(この彼女に苦痛を与えるという事が博士を喜ばしたのだ) さて、北田の斃れたのを見すまして、博士は室外に出て、計画通り友人を連れ来り、適当な時に予め作った電気ボタンを押す事によって、発声フィルムを廻転させる。フィルムが終ると同時に、彼は再び別の釦を押して、妻の幽閉してある部屋と書斎との間の扉を開ける、(この装置は諸君はしばしば郊外電車の自働式開閉扉について見られる事と信ずる) 玉代は長い間隣りの部屋に出たいともがいていたのだから、扉が開くと同時に飛出して、北田の斃れている処に駈け寄るに違いない。恰度そこをねらって彼は友人と書斎内に這入る。これで玉代が北田を殺したのだと信じないものがあるだろうか。

 博士は着々として実行の準備を整えた。彼は殺害の方法を女性らしく見せるため、毒殺を選ぶ事にした。或日の午後、彼は予め妻を隣室に閉じ込めた。彼女は何気なく隣室に這入ったが、急にガラガラと扉がしまったので、ハッと顔色を変えたがもう遅かった。やがて博士は北田京一郎を書斎に伴って来た。そうして手ずからウイスキーソーダをコップに盛って、彼にすすめた。北川は何の予感もなく、博士の差出したコップを取ってグットママ一飲みに飲んだ。そうすると、博士はカラカラと笑って、北田及び隣室に閉じ込めてある妻に聞かせるために云った。

「ハハハハ、北田君、君は恐るべき毒薬を飲んだのだよ。オイ、玉代、北田君は俺に毒薬をまされたよ。お前達は俺を馬鹿だと思っていたろう。けれども、俺はお前達の考えているほど、お人好しではなかったよ。俺の云う事が本当だと云う事が、今ようやくお前達に分った訳なんだよ」

 北田は恐ろしさと、苦痛と、憤激とにじっと聴いていられないような、物凄い呻き声を立てたが、暫くしてパタリと斃れた。玉代は隣室で狂気のように荒れ狂った。

 井川は北田がすっかり縡切こときれたのを見済すと、直ぐに室外に出た。そうしてかねて計画して置いた通り、近所に住っていた友人の高木と云う男と、その細君を引張り出し、是非自分の家に来てくれと云った。高木夫妻は博士の異状ママに興奮した様子と、只ならぬ剣幕におそれて、取るものも取り敢ず博士邸に同道した。博士は二人を引張るようにして、書斎の前に連れて行った。書斎の中から男女の会話が洩れ聞えた。

 ………………

 ――あなたは私を疑っていらっしゃるんですね。

 ――ええ、多少はね。

 ――まあ、(間) ……私は馬鹿でした。あなたは私を……(聴取れず)……しようとなさるんですね。

 ………………

 書斎の内から洩れ聞えて来た会話が、博士夫人と北田青年だと云う事が分ると、博士の平素を知っている高木夫婦は、サッと顔色を変えて、無言のまま互に顔を見合した。