Page:KōgaSaburō-Film-Kokusho-1994.djvu/5

提供:Wikisource
このページは校正済みです

全然失敗に帰した。そこで彼は非常に感度の高いフィルムを作ろうと研究して見たけれども、これは一朝一夕に出来る仕事でなかったから、写真撮影は遂に断念するの他はなかった。

 かくて博士が智力を傾けて考案したのは、そうして成功したのは、発声フィルム法であった。(読者は博士が何故に探偵を使用し、或いは自ら彼女を尾行し或いは室内を覗いて、事の実否をただそうとせず、かく迂遠な骨の折れる方法をったかと疑われるかも知れない。検事の指摘したのもそこで、その故を以て、彼は博士の発声フィルム法を殺人予備行為と論じたのである。しかし、探偵を使用する事は無論博士として出来なかった事であろうし、彼の如き偏執狂的科学者が、自己の科学的知識によって、機械を使用して確乎ママたる証拠を得ようと試みるのは、充分あり得る事であろうと思う。これは単なる私の想像であるが、彼は後には妻の不貞行為の実否を質す事よりも、その方法を考案する事それ自身に、より以上の興味を持ったのではないかと思う。彼はその方法の考案に実に二年間を費し、満三年の後ようやく成功したのであるから)

 ここで私はちょっと発声フィルムの事を説明したいと思う。元より私は専門家ではなし、充分満足な満足は説明は出来ないし、ことによると飛んでもない錯誤を述べるかも知れぬ、しかし、今私は執筆を急いでいるので、生憎あいにく専門家に問い質す余裕を持たないから、その点は予め御諒解を願う事とする。

 発声フィルムに使用するフィルムは映画撮影に使用するフィルムと同一の性質のもので、セルロイドの薄い細長い板に、感光膜が塗布してあるもので、感光膜は光線に露出した後に、現像作用を行うと当てられた光線の強弱に比例して、明暗をその上に現わすものである。音響は諸君もよく御承知の如く空気の波動によって生ずるが、もし空気中に起る波の高低 (音波は所謂縦波と云って、海水の波とは少し性質を異にするが、分り易いために、横波の概念で説明する) が、そのま光線の強弱に変える事が出来たら、即ち音波の高い所は光が強く、音波の低い所は光が弱いと云う風に、つまり空気の波動の縞を、光線の縞に変える事が出来て、その光線を移動しているフィルムに当てたなら、現像の結果、フィルム上には、音響の強弱に全く対応して、明暗の縞が出来るに相違ない、これが発声フィルムである。音波の縞を光線の縞に変えるのには光電池フオトセルというのが仲介する事になっている。

 逆にフィルムを発声させるためには、フィルムに人造光線を当てて移動せしめる。すると、フィルム上の明暗の縞に濾過されて、その度合に対応した明暗の光線が光電池フオトセルに当る。光電池に当った光線の強弱に全く対応して、電気抵抗を変え、通過する電流に対応した強弱を生ぜしめる。こうして出来た断続的な電流は、既に電話機に於󠄁てよく知られている作用で、両端遊離した極く薄い雲母うんも板を振り動かし、先にフィルム上に印せられた音と同一の音を再現するのである。

 井川友一が彼の妻の品行を探るために、苦心の結果考え出したのは、この発声フィルムを使って、彼女の情人と考えられる青年との会話を記録しようと云うのにあった。この方法によるとアクションは遺憾ながら記録出来ないが、彼等の交す会話は一言一句、洩れなく記録する事が出来る訳である。

 井川博士は彼の留守中、二人が最も使用するであろう所の、彼の書斎を選んで、底に秘密の戸棚を作った。戸棚は暗室になっていて、そこに写声機 (映画撮影機と同一の機構を存するもの) 光電池その他一切の装置を置いた。

 諸君はどうしてこの写声機が、適当な機会に於󠄁て自働ママ的に動き出して、恰度うまく玉代夫人と北田青年の会話を記録する事が出来るであろうかと、疑われるだろう。それには井川博士も非常に頭を悩ました。そうして結局次のような巧妙な方法を発明したのである。

 書斎には大きな革張りの肘突椅子があった。それには堅牢な弾機バネが這入っていて、腰を下すと共に