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 「あら、あなたにも懸賞がありますの」

 二人は顔を見合ママして、ニッコリ笑った。

 「ええ、私のはたった百円ですよ」

 「だって、それはお父様から頂くんでしょう」

 「ええ、そうです」

 「それならいくらでも結構ですわ。私だってお父さんが生きてさえいたら僅かな金が欲しさに、番頭風情をつかまえて、あんなはしたない真似まねはいたしません」

 「お父さんはおなくなりになったのですか」

 「ええ、今は母と二人きりですの。私の家は祖父の代までは埼玉県で一二を争う豪農だったんだそうですけれども、父の代になってすっかり貧乏してしまいました。今は私がこうやって働いて母を養っておりますの。ですから、今の私に取りましては千円だって馬鹿に出来ない大金ですわ。それでも母がいなければお金なんか欲しいと思いませんけれども」

 彼女は急にしんみりとした口調になった。

 繁太郎は埼玉県という言葉を聞いて、急に膝を進めた。

 「あの、埼玉県の豪農でしたって?」



 埼玉県の豪農といっただけでは、埼玉県も広いし、豪農も数が多いし、それが例の碁盤の売主とはきまっていないけれども、どうせ所蔵品を売払うからには零落おちぶれたのだろうから、その点ではあるいは関係があるかも知れないと意気込んで訊いたが、実は繁太郎は水晶の玉の事などはどうでも好くなって、今はこの可憐な美しい直子と話しているのが愉快でたまらなかった。彼はちっとでも多く彼女を引留めて話がしたかったのだった。零落れた豪農の娘! 健気けなげにも華奢きゃしゃな身体で働きながら、母を養っている娘! 血の気の多い繁太郎の頭にはもうローマママンチックな物語が作られていたのだった。

 「ええ、そうなんですの」豪農の娘だったなどと、端たない事を口にしたのを後悔したらしかったが、今更否定もならず、彼女は微かにうなずいた。

 「ではもしや、碁盤がありませんでしたか」

 これは我ながら可笑しい質問だった。豪農でなくても碁盤の一面位はどこの家にでもある。繁太郎は苦笑した。

 「ええ、ございましたわ」直子はこう答えたが、あまりだしぬけの質問に面喰めんくらったようだった。

 「いや」繁太郎は頭を搔きながら、「碁盤といっても普通のでなく、古びた榧の征目の――」繁太郎は委しく碁盤の様子を説明した。

 「ええ、それと同じのがございました」直子は昔の事を思い出したように眼を輝かして答えたが、急に沈みながら、「ですけれども、もうありませんわ。とうに売ってしまいましたから」

 「うちへその碁盤を見に来てくれませんか。今云った古い碁盤を最近に手に入れましたから」

 「え、え、それは本当ですか」直子は興奮して叫んだ。

 「参りますとも、お差支えさえなければ」

 繁太郎は彼女の言葉を半分も聞かないうちに、ボーイを呼んで勘定を命じていた。

 二十分の後には二人を乗せたタキママシーが、笠松家の玄関に横づけになっていた。

 タキシーから出て四辺を見廻した瞬間に、直子はひどく気後きおくれがしたように云った。

 「まあ、これがあなたのお宅なの」

 「ええ」

 「ああ、私」彼女は口のうちで呟いていた。「来なければ好かった」

 けれども碁盤の誘惑に堪えかねた彼女は、おずおずと玄関に上った。繁太郎は驀進まっしぐらに座敷に彼女を案内した。

 碁盤を見た瞬間に、彼女は棒立ちになった。しかし次の瞬間に彼女は歓喜に堪えないという叫声さけびごえを出して、碁盤に駈け寄ると、母親が赤坊あかんぼうをあやすように、愛撫しながら云った。

 「ああ、これです。これに違いありません。これは先祖から伝ったもので、父が死ぬまで愛して傍を離さなかったのです。それを、先年家を畳む時に止むなく売払ったのでした。私は何だか死んだお父さんに会ったような気がします」

 彼女は懐旧の情にむせびながら、基盤を抱き締めた。

 「そうでしたか、では早速お訊きしますが、あなたはこの穴の中にかくしてあったものを知りませんか」

 繁太郎は碁盤を仰向けにして、一つの足を抜いて、例の小さい穴を示した。

 「ああ」直子は吃驚びっくりしたように叫んだ。「こんな所に穴のあるのは少しも知りませんでした。何が這入っていたんでしょうか」

 彼女は穴をじっと見ていたが、

 「おや、この穴の形はあの水晶の玉そっくりです。では、もしや」彼女は暫く考えていたが、突然狂気したよ