Page:KōgaSaburō-Crystal-Ronsō-2017.djvu/7

提供:Wikisource
このページは校正済みです

ていらっしゃるかという訳も聞きたいし、ちょっとどこかでお話し下さる訳に行きませんでしょうか」

 「ええ」娘は往来で初めて会った男にこんな事を話しかけられて大分警戒しているようだったが、繁太郎の人柄が信頼出来そうなのと、水晶の玉についての話というのがよほど興味を惹いたと見えて、低声こごえで答えた。「ええ、参りましょう」

 「ではタキママシーを呼びますから」繁太郎はいそいそして云った。「とにかく、あの尾行して来る男を撒いてしまうためにお乗り下さい」

 そう云って、繁太郎は走って来たタキシーを呼留めて、娘を中に入れ自分も続いて中に這入り、運転手に「須田町」と云った。

 神田に近づいて来ると、彼は急いで運転台との仕切の窓を叩いた。

 「ここで下してくれ給え」

 乗って来たタキシーが走り出してしまうと、繁太郎はまた別のタキシーを呼び留めて、彼女を促して、再び車中の人となった。

 「銀座!」

 繁太郎は運転手に命じておいて、彼女の方に向き直りながら、

 「銀座辺の喫茶店でお話しましょう。こうしておけば例の尾行していた男が、私達の乗った自動車の番号を覚えていて、後で見つけ出して運転手に訊いたとしても、大丈夫ですよ」



 繁太郎は彼女を銀座のある喫茶店の二階に伴った。日が暮れたばかりの所なので、客は殆どいなかった。

 「どうも御迷惑です」繁太郎は云った。「私は笠松繁太郎と云いまして会社員です。あなたは?」

 「私は小山直子と申します。やはりあの、会社に勤めておりますの」

 「何という会社ですか」若い女と話しつけないので、云ってからはっとしたほど、彼の質問は不躾ぶしつけだった。

 「は」直子は少しもじもじしていたが、「Mビルヂングの友田商会と申します」

 「友田商会?」

 Mビルヂングといえば、やはり繁太郎の勤めている会社もそこにあるし、彼はMビルヂング関係者の組織しているMクラブの会員であるから、少し大きい所の会社員の主なるものは知っているはずだったが、友田商会というのには覚えがなかった。最近にビルヂングに移って来たのか、さもなければよほど小さい店なのだろう。

 「古くからお勤めですか」

 「いいえ、最近ですの」

 「ところで」繁太郎はボツボツ本題に這入った。「水晶の玉の一件ですがね、どういう訳であれほど御執心なのですか、お差支さしつかえがなくば、お知らせ下さいませんか」

 「あれは私が欲しい訳ではございませんの。商会の社長の友田が是非、手に入れたいと申すのです」

 「へえ、実は私もね、親父が是非手に入れたいと云うので、今日あそこへ行ったのですが、あなたの談判の様子ではとても駄目らしいので、這入らずに来たんですよ」

 「あら」直子は眼をみはった。「あれを聞いていらっしたんですか」彼女は大分打解うちとけてきた。

 「ええ」繁太郎も軽く返辞ママが出来るようになった。

 「まあ、私、どうしたら好いだろう。あんな恥かしい所を見られて」彼女は顔を赤くして、いかにも恥入るという風だった。

 「構いませんよ。社長さんのために一生懸命になっておられたんですもの」繁太郎は気の毒そうに慰めた。

 「ええ、全くそうなんですわ。そう思って頂ければ私安心です。実は社長という人がとても骨董の好きな人でして、始終骨董屋をあさって歩くんですが、四五日前にあの水晶の玉を見つけたんですね。ところが番頭が売らないばかりか、手に取って見せる事もしないので、一時は腹を立てたらしいのですが、骨董好きなんて妙なものですね、売らないと云われるといよいよ欲しいものと見えます。で、今朝でした、私を呼んで、小山さん、これこれの訳なんだが、私が云ってもどうしても応じないが、あなたは女だから、向うでもいくらか愛想よくするだろうし、話もきっとつくと思うから、是非行って買ってくれと申すのです。私は一度は断りましたけれども、ってと云いますので、仕方なく引受けましたのですわ」

 「私の親父もその通りなんです」繁太郎はあまりに話がく似ているので思わず微笑みながら、口を差挟さしはさんだ。

 「そうですか」直子もニッコリ笑いながら、「でも、私それだけならあんな厭な番頭に、あんなに嘆願しはしませんでしたわ」

 「ああ、分りました。懸賞があったんでしよう」

 「ええそうなんですの。私が成功すれば千円くれると申しました」

 「ほう、それは私のより大分多い」