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「承知しましたッ」といって、自転車を飛ばした。

 そんな事で、浦和市から医師と司法主任以下の警官が案外早く駆けつけて来た。

 取調べの結果、被害者の秀造は、腕につけていた金側きんがわ時計と、懐中にあった筈の蟇口がまぐちとをられていた。その上に客間に飾ってあった置時計と、宝石をちりばめた巻煙草入れがなくなっていた。

 玄関の戸は中から締りがしてあったし、台所はみな子が帰るまで、外から締りがしてあったので、その方面からは這入る事は出来ないが、窓は全然締りがしてなかったので、どの部屋からでも窓を押し開けて這入る事が出来るのだった。

「兇行時間は少くとも二時間以上です」綿密に検屍した医師はいった、「死後硬直が始まりかかっていますし、血液の凝固の状態からいっても、その位は経っています。この部屋は随分暖かいですから、これ位の温度では血液の凝固は少し遅くなります。これが室外だと一時間位で、これ位の凝固があるかも知れませんが、まアママこの部屋では二時間以上と推定すべきです」

 屍体を発見してから、医師が来るまでに一時間ほど経っているから、秀造は私達が屍体を発見した時から更に一時間ほど以前に殺された事になり、丁度、私達がみな子に案内されて、広い地所をあちこちと歩き廻っていた間になる。

 一時の失神からようやく恢復したみな子は、未だ血の気のない土のような顔で、秀造の屍体に縋りつかんばかりにして、泣き喚いた。

「すみません、すみません、ゆ、許して下さい。ひ、一人で置かなければよかったのだ。一人ぽっちにして私が外を歩き廻っていたからいけなかったんです。すみません。すみません。ゆ、許して下さいッ」


火を焚いたのは?


 渡辺と私と金子は交る交るにみな子をなだめ慰めた。

「なにもあなたのせいというんじゃない。全く災難なんだから――」

「奥さん、お察ししますけれども、泣いた所で取返しがつかないんですから――」

「ね、そうしていちゃ肝腎の捜査に邪魔になりますから、落着いて、落着いて、まアママ、こっちへお出なさい」

 私達はいろいろにいったけれども、みな子はすっかり取乱してしまって、屍体にすがりついて容易に離れようとしないのだった。

 日はとっぷりと暮れた。未だ判事も検事も出張して来なかったが、刑事は真暗な闇の中を、懐中電燈を照らしながら、何とかして手係りを見つけようと、這い廻っていた。

 兇器の柄から指紋が得られるかと期待されたが、それは期待外れで、被害者の指紋以外に何にも現われなかった。兇器に使われた短刀は被害者のもので、みな子が居間の机の抽出ひきだしに隠して置いたのを秀造がいつの間にか持出したものらしく、それが加害者に悪用されたのだ。加害者を見つけて秀造がいきなり短刀を抜いて切りつけようとしたのを、力の強い加害者に揉ぎ取られて、長椅子の上に押えつけられて、背中から一さしやられたものらしい。秀造の姿勢が自然の姿勢でなく力委せに背中から押えつけられたらしく、腹ンママ這いになりながら、踠いた形跡があった。短刀の柄に加害者の指紋のないのは、加害者が手袋を嵌めていたか、手拭でも捲きつけてあったためであろう。

 私達三人は帰るにも帰れなくなった。判検事が出張して来て、証人としての取調べが済むまで、