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先夫に貰った手切金を利殖して、いくらかまとまっていた金で、将来発展する見込みで、安い地所を買えるだけ買ってね、そこへ家を立て、花を造ったり、畑をこしらえたりして、土地の値上りを待っていたという訳で」

「成功した訳だね」私はいった。「あの辺の土地はここ二三年来、素晴らしい値上りだというじゃないか」

「その点ではまアママ成功さね」渡辺はうなずいたが、すぐに、「ところが亭主の方がいけないんだ。病気――といっても頭の病気でね。最初は神経衰弱という診断だったが、この頃ではもう本物になったらしいんだ。ひどく疑ぐり深くなって、一寸した事でも打つ蹴る、そりアママひどい乱暴をするんだそうだ。夜は殆ど眠られなくて、昼間はウトウトしているという。そのために、細君の方は夜も昼もオチオチ寝る暇もないという訳で――」

「なるほど気の毒だね」金子がいった。「つまり結婚してからは細君の方がずっと養っていたという訳じゃないか。それに打ったり蹴られたりして、未だ辛抱して介抱し続けているというのは――」

「そうなんだ。僕は最初みな子さんの友達からこの話を聞いた時には全く同情したよ。その後二三度みな子さんとも会い、浦和の家へも一度訪ねたが、亭主というのはまアママ昔なら狐つきという所だね。げっそり痩せて眼ばかりギョロギョロ光らせて、いう事がまるでトンチンカンさ。その時は前の晩に発作が起ったといってみな子さんは生傷なまきずを拵えていたよ」

「しかし」僕はいった。「今更離婚も出来まいしねえ」

「そこなんだよ」渡辺はうなずいて、「離婚は出来ないけれども、とても一緒に住むに堪えんというのだ。それで、とにかく亭主を入院させて治るものなら治してやりたいのだが、それにつけても金がいるし、そんな金は土地を処分しなければ、到底出来ないというのでね――」

 私はみな子という人にすっかり同情した。世には不幸な結婚で泣いている女の人は少くママないが、最初から騙されて結婚し、その男を五年の間も養って、貞節につかえているうちに、男の頭が狂ってひどい虐待をされるとは、何と不幸な人であろう。しかもそうなっても未だ見棄てないで、世話して行こうというのだから、誠に見上げたものである。

 浦和の駅に降りたのは、もう三時近かったが、電車から出て私達は余りにも寒いのに驚嘆した。電車にはヒーターがあって、温まっていたので、外へ出て始めて気がついたのである。

「まるで冬だね」渡辺が外套の襟を立てながらいった。

「冬以上だ」

 と私がいうと、金子は、

「今日こんな郊外へ来たのは、失敗だったよ」

「まアママ、辛抱してくれ給え」渡辺が弁解するようにいった。

 自動車で二十分ばかり走って、私達は見るから田舎めいた所に降り立った。所々に小高い丘があり、丘と丘の間には田や畑が拡がって、そこここにまばらな林が立っている。その間に藁葺わらぶきの百姓家がポツンポツンと、二三軒見えるというような風景だった。

 そこからはもう自動車は這入らないので、私達は小径をダラダラと丘の下に降り、それからその裾を廻って、一町ばかり歩いた。

「大変な田舎だね」

 金子がそういった時に、前面の林の間から、およそこの辺の風景とは不似合な、赤い屋根の洋館が