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くれかさなって行きます。やみの中に鍬を握った手首が白く浮び出て、まるで手だけが自分から離れて動いているように感ぜられました。ようやく、それでも無事に埋め終りました。

 埋め終ると私はぞっとしました。泥のついた鍬を手近の縁の下へ放り込んで、家の中へ駈け上がりました。それでもそこいらを片附けて手がかりをなくする事は忘れませんでした。ポツねんと妻子の帰るのを待っていました。この夜の電燈は今私の坐っている独房の電燈の光りよりも、どの位暗いと感じたか分りません。

 やがて妻子が帰って参りました。私は頭痛がするからと云って、すぐ床をとらせてましたが、少しも怪しんでいる様子はありませんでした。

 その夜はそれでも異常な精神的打撃を受けたためか、反ってよく寐ましたが、翌日からはおちおち眠れぬようになりました。自責、悔恨、恐怖の念が交々こもごも湧いて出ます。昼問は見まいとしても、庭の隅に眼が釘づけされるのです。夜は恐しい夢にうなされます。イライラと怒り易くなり、食慾が減り著しく憂鬱になりました。妻はいつもの神経衰弱が昂じたのだと思っておろおろしていました。しかし幸いな事には誰も私の大罪を犯した事をさとる者はありませんでした。そうして二三日は無事に過ぎたのです。一度彼の留守宅から問合せに来ましたが、私は何も知らない振りをして帰したのでした。毎朝、私は新聞の隅から隅まで熱心に眼を通しましたが気になるような記事は少しもありませんでした。

 四日目の昼でした。もう一人の将棋友達が訪ねて参りまして一向私の変った様子に気付かぬ風で、挑戦いたしました。この友達は私より少し弱く、競争意識もさして強くない、ふだんなら最も指し易い一人なのですが、どうして今の私が将棋を指す気になれましょう。しかし、私の将棋好きを知り抜いている彼ですから、断りでもして、怪しまれてはならぬと殊更ことさら平気を装うて、将棋盤を持ち出して彼の前へ据えました。彼は早速駒をバラリと箱から出して手早く並べました。私も段々駒を並べて行くうちに、どうした事か角と歩が足りない事に気がつきました。

 私はハッと顔色を変えたのです。

 角と歩、角と歩、それはあの日の彼の手駒ではありませんか。そう思うと、私はフラフラと立上りました。それから何をしたか少しも覚えていません。気が付くと、床の中に寝かされて、額に氷を当てていました。傍には妻が心配そうに坐っていました。聞くと、私は駒が足りない、駒が足りないと弱々しい声で呟きながら、一旦縁側迄出て、それからフラフラと茶の間に這入り、そのまま倒れてしまったのだそうです。友達は勿論そこそこにして帰って行ったのです。

 その夜です。私は妻子の寐息を覗いながらそっと起き出でました。私はいろいろに考えましたが、駒はどうしても彼が握っていたに違いない。ふだんからやかましく云って子供にもいじらせないようにしている大切な駒が、故なく失くなったのではすまぬ、駒を取り返して置かなければ、第一妻から疑われると思ったのです。妻は昼間の疲れと、私の思ったより早く恢復した安心とで、グッタリと寐込んでいました。

 音のしないように雨戸を一枚ると、空は一面の星です。地面には雪かと見紛うばかりに霜が降りていました。

 寒さでガタガ夕震える歯を喰いしばって、縁の下に抛り込んであった鍬を抱えて、一生懸命に下腹に力を入れて、庭の隅に行きました。やみにもちょっと堆高うずたかくなっている所はどうやら分ります。私は腕を捲り上げて、ハッシと鍬を打下しました。ズシンと鈍い低い音が地の底から来る呻き声のように