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を手にして、やや優勢に見えました。この時です。私は勢に乗じて五五の歩を五四と突いたのです。ところがすかさず、敵から五五桂と打たれて、六七の金に当てられたのです。私は五四歩と敵が同歩と取れば、五三歩と打って、五二にり込むし、このまま置けば忽ち五三へ化りますから、勝利疑いなしと軽率にも指したのですが、何と云う事でしよう。五五桂と六七の金に当てられると、八筋の敵の飛車は通っているし、敵角が四九に化り込んでいますから、私の方は忽ち危険に瀕したのです。

 私は苦しい胸の中を一生懸命に落着けて、受手を考えました。が、考えれば考える程、私の負は明かなのです。私は口惜しさが一杯で、後にはただ盤面を睨んでいるばかり。頭は空虚になってしまいました。碁や将棋をやられた方は誰でも経験のある事でしょうが、対手が妙手を指したためとか、又は自分が考えた末指した手が思い通り行かなかったとか云う場合は、口惜しいには口惜しくても、未だ諦めがつきますが、どうにも思い切れないのは、誰でも気のつくような詰らない見損じで、優勢な場面がガラリと引くり返った時です。しかも敵が無慈悲にもその見損じに乗じて、得々としていると来た日には、どうにも辛抱のなるものではありません。

 今の場合が正にその通りなのです。

 私の軽率な一手によって、攻防忽ち地を替えたのです。私はじっと盤面を眺めたまま、顔を上げる事が出来ません。もし顔を上げれぱ私は彼の冷笑を鼻にうかべた勝ち誇った顔を見なければならないのです。しかし、後で考えて見ると、私は思い切って顔を上げた方が好かったかも知れません。私の恐らく真蒼な、そうして殺気に充ちた顔を見れば、彼はあわてて冷笑を引込めて、面を伏せた事でありましょう。そうすればこれから先の悲劇は起らなかったかも知れないのです。が、その時は、私は顔を上げるどころでなく、烈しくなる息遣いを押えて、ブルブル震える拳を握りしめ、それでも対手に心の動揺を悟られぬように、必死の努力をしていたのです。

 その時、彼は呟くように云いました。

「フフン。下手の考え休むに似たりか」

 この言葉が致命的の第二でありました。

 私は前後の考えもなく猛然彼に飛びかかりました。体格では彼が私の足許にも及ばぬ弱敵である事を考慮に入れるのを忘れたのでした。気のついた時には彼は私の下敷になって、私の右の手でしっかと喉を押えられて動かなくなっていました。私は静に立上って、醜くよこたわっている彼の姿を、ちよっと痛快な感じで眺めました。しかしそれはほんの束の間、私は忽ち打ちのめされた人のように、ガックリ坐り込んで、机の上へバラリと今迄左の手で握っていた汗ばんだ手駒の金と銀を投げ出しました。これから暫くは魂の抜けた人のようにボンヤリしていました。暮れ易い冬の日はもう薄暗くなっていました。

 それからどれ位経ちましたか、日はもうトップリ暮れていました。ふとかたわらに横っている死骸を見た時に、私は妻子が帰らない中にどこかへ隠さねばならぬと決心したのです。

 幸いな事には小さい家ではありますが、郊外の一軒家みたいな所だけに、庭は十分ありますし、そこに生い茂っている立木の落葉を棄てるために、一隅に大きな穴が掘ってあったのです。この穴はもう落葉も大分片附いたし、子供が落ちでもすると困るから埋めてくれと、前々から家内に頼まれていたのでしたから、今日埋めてしまったからと云って、家内が不審に思う事はない筈なのです。

 私は冷たい死体を抱き上げて庭に下りました。穴の中の落葉を掻き分けて死体を入れ、上から十分に落葉を被せて、穴の廻りに小高く積まれた土を砕き入れました。一くわ毎にバラバラと落葉の上につち