Page:KōgaSaburō-A Doll-Tōhō-1956.djvu/10

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が名刺入れを取り上げて来たからね。まあ静かにしてい給え。僕は決して為にならん事はしないから」

 手は女中の騒ぎ立てるのを制して、簑島の方に、妖婆のようないやらしい顔を向けて、物凄い目をギロリと光らせた。

「何と云う家の前だつたかね」

 簑島はあの辺の家の名は殆ど暗記していたので、喉の所まで出て来ているのだが、どうしたのか鳥渡急に云えないのだつた。

「え――と、石、いし何とか云つたつけなあ」

「白石新一郎だろう」彼は教えるように云つた。

「あつ、そうです。白石です。確かに新一郎と云いました」

「そうだろう」彼は満足気にうなずいて、

「之ですつかり分つたよ。おい、君」

 彼は女中をママ呼びかけた。

「はい」

「君は長くこの家にいるのかい」

「はい、三年ほど居ります」

「そうか、それでは一年ばかり前に、この家で、しかもこの室だと思うが、若い美しい夫人が死んだのを知つているだろう」

「はい、存じて居ります」女中は、手の顔を驚いたように見詰めながら、

「菅原精一さまの奥さまでたみ子様と仰有る方でした」

「そうだ。菅原代議士の夫人で、有名な貞淑な美しい女だつたね。あれは確か自殺とも他殺とも病死とも判明しなかつたようだつたね」

「はい、あれは夜の八時過でございましたかしら、たみ子さまがこゝへ訪ねて来られまして、旦那さまと話をしていらつしやいましたが、急に気分がお悪くなりまして私が呼ばれて参つた時にはもうバッタリと斃れてお居でになりました。直ぐお医者を呼びましたが、もう駄目でございました。警察の方でもいろお調べになりましたが、何かの中毒のようではあるが、他殺とも自殺とも分らないと云う事でした」

 当時を回想するように、女中は恐ろしげに云つた。