Page:KōgaSabrō-The Crime in Green-Kokusho-1994.djvu/15

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に山中の廃屋あばらやで自殺しようと云う気になりました。

 何故私がこの廃屋を死場所とめたかと云うと、私は偶然「高原の秋」の映画面からこの廃屋を発見して、鳥沢の緑林荘に深い関係があるように思われ、且つ彼が最後に残して行った謎のような奇怪な言葉のうちにも、何となくこの緑の廃屋を暗示するものがあるように思われたので、息のあるうちに一眼この廃屋を見て、幸に滅多に人の来ない山中でもあるし、ここで静かに命を断とうと決心したのです。そうして今ここに私はその門柱を仰いで、緑林荘の三文字の微かな跡を見出し、思いを三年の昔にせて、無量の感慨に耽ったのでした。

 もう午後二時を過ぎたでしょう。曇りがちな空は、深山のしかも立籠たちこめた木下闇このしたやみに、すっかり夕暮を思わせています。遙か向うの谷合からは白い霧が湧き出て、青々とした山肌を見え隠れさせています。双のたもとはいつかしとどに濡れていました。いつまでも猶予してはいられません。私は薄暗い廃屋の中に、洞穴ほらあなの中にでも突き入るような気持で、足を踏み入れました。

 廃屋の中には湿ぽいようなかび臭いような臭いが漂うていました。床も柱も板壁もすっかり朽ち果てて、しずくが滴り落ちるように湿気でジメジメしています。部屋の数は五つ六つありましょうか、奥へ進む程益々暗く、全く岩窟のような感じで、今にも何か異様なものが這い出て来そうで、思わず襟元がゾクゾクします。

 私は家の隅々まで仔細に調べました。柱と云わず壁と云わず緑色のペンキで塗ったらしい跡が十分認められました。私は家の中央と思われる辺の一つの部屋の崩れかかった椅子に腰を掛けて、鳥沢の云った不思議な言葉を考えました。

 緑色は幸福な色である。富士山の神秘を研究せよ。こんな意味の事を彼は私に云いました。彼は確かにこれに似た言葉を、例の遊覧船富士丸で朝野の紳士を前にして云っています。これを聞いた時には彼は全く狂人だと思いましたが、今ここで静かに考えて見ますと、一概に狂人の言葉とは云えない、何か意味がありそうに思えます。私は自殺を決心した人間でありながら、じっと考え込んでしまいました。しかし、矢張こんな譫言たわごとじみた事に意味のある訳はありませんでした。いくら考えて見ても、狂人の言葉が解ける筈はありません。私は急に馬鹿々々しくなってつと立上りました。

 と、この時です。隣りの部屋でミシリと云う音が響きました。

 私ははッとすくみ上りました。死のうと決心していた私でしたけれども、この深山のしかも滅多に人の通わない谷間の廃屋に、他に人がいようとは思っていませんから、この不意の物音には心臓が押し潰される程驚きました。

 ミシリミシリと云う跫音はだんだん近づきます。やがて薄暗い隣りの部屋からニウッと顔を出したのは……

 醜い大きな鼻をつけて普通の顔の二倍もあろうと云う、西洋の妖婆を思わせるような顔を、小柄な胴の上にチョコンとつけて、呪うようにニタニタとした笑顔を向けたのは、ああ誰あろう、私の恩人手龍太弁護士でした。

「あッ! あなたは手さん」

「無事でいたな。間に合うかと心配しながら来たんだが」

「え、え、ではあなたは私がここで死ぬと云う事を承知して追って来たんですか」

「そうとも、――しかし、わしは君が死のうと云うのを強いて止めはせんよ。ただ君に一言云い聞かしたい事があってな。こうしてやって来たのさ」