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Page:Issennen no rekishi wo tsukuran.pdf/9

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である。英軍は單に重戰車の極めて優勢なお蔭で北阿に於ては一時危機を招來するに成功したが、昨年三月ニ十四日には早くもロメル將軍指揮下の少數部隊より成る獨伊聯合軍が反擊を開始したのである。四月二日にはアゲダビアが陷落し、四日には聯合軍はベンガジに到達、八日にはデルナに入城し、十一日にはトブルクを包圍し、十二日にはバルデイアを占領した。ドイツのアフリカ遠征部隊は、戰場の氣候が全く相違し、ドイツ人には不慣れであつたにも拘らず愈々以て赫々たる戰果を收めたのである。嘗てスペインに於ける如く今や獨伊兩國は北アフリカの野に於いて同一の敵に對し手に手を携へて戰つてゐる。

 斯くの如き果敢な行動により北阿戰線が獨伊兵士の血を犧牲にして再び確保されてゐる間に歐州は旣に恐るべき不吉の影に覆はれたのである。余は一九三九年秋緊急已むを得ざる必要に迫られ獨ソ間の焦眉の不和を芟除して全面的平和の前提を確立せんと決心した。元來ドイツ國民、特にナチス黨の堅持するはボルシエヴイズムに對する立場が全然反對なためこれは余にとつて精神的には苦痛であつた。然し乍ら實際上は困