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府側には何等の公式否定も行はれずして、ルーズヴエルトの遠大な計畫なるものが米國で公表せられるに至つたが、それは遲くとも一九四三年には兵力を用ひて獨伊兩國をその本國自體に於いて襲擊せんとするものであつた。

 これにより、數年來のルーズヴエルト大統領に依る堪え難き挑發行爲にも拘らず、戰爭の擴大を防ぎ合衆國との正常な關係を維持せんとする、獨伊兩國の類例なき辛抱强さを立證する努力は、全く水泡に歸してしまつたのである。

 茲に於いて獨伊兩國は、遂ひに、一九四〇年九月二十七日附の三國條約の規定に遵ひ、日本と相携へて、それら三國とその國民とを防衞し、且つそれに依つてその自由と獨立とを維持せんがために、アメリカ合衆國と英國とに對する戰ひを開始するの止むなきに至つたのである。依つてこれら三國は次の如き協定を締結し且つ本日ベルリンに於いて調印を了した次第である。

三國協定

 アメリカ合衆國及び英國に對する共同の戰爭が完遂せられるまでは干戈を收めざる